こんばんは。

 

今月の8日に歌舞伎座で『壽 初春大歌舞伎』を観てきたので、今日はその感想を書いておきます。

 

僕が観たのは夜の部でした。

 

演目です。
『平成29年 壽 初春大歌舞伎』夜の部
一、◎井伊大老(いいたいろう)
北條秀司さん 作・演出
織田音也さん・中嶋正留さん 美術
井伊直弼 松本幸四郎さん
仙英禅師 中村歌六さん
長野主膳 市川染五郎さん
水無部六臣 片岡愛之助さん
老女雲の井 上村吉弥さん
宇津木六之丞 松本錦吾さん
中泉右京 市川高麗蔵さん
昌子の方 中村雀右衛門さん
お静の方 坂東玉三郎さん

 

二、五世中村富十郎七回忌追善狂言
上◎越後獅子(えちごじし)
角兵衛獅子 中村鷹之資さん
下◎傾城(けいせい)
傾城    坂東玉三郎さん

 

三、秀山十種の内
◎松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
松浦鎮信 市川染五郎さん
大高源吾 片岡愛之助さん
お縫 中村壱太郎さん
宝井其角 市川左團次さん

 

それでは、北條秀司さん 作・演出の井伊大老(いいたいろう)から。
作者の北条秀司さんは大阪のご出身です。鉄道会社の社員をしながら「半七捕物帳」などの作者として有名な岡本綺堂さんに師事し、1937年、『表彰式前後』が新国劇で上演されて劇壇デビューされます。1940年、『閣下』で新潮社文藝賞を受賞。1947年、新国劇で辰巳柳太郎さん主演の『王将』が大ヒットします。『王将』何度か映画化もされていますね。

 

1951年、『霧の音』で毎日演劇賞、1965年、『北條秀司戯曲選集』で芸術選奨文部大臣賞、翌年読売文学賞、1973年、菊池寛賞受賞。1987年、文化功労者、ほか大谷竹次郎賞など数多くの賞を受賞され、歌舞伎、新派、新国劇に数多くの脚本を提供し自ら演出も手掛けられた演劇界の重鎮です。

 

今回上演された『井伊大老』は北條秀司さんが昭和28年に新国劇のために書き下ろした『大老』という作品を歌舞伎用にアレンジし直したものです。通しで上演すると四時間半もあるそうですが、新国劇でのこのお芝居を観た六代目 中村歌右衛門さんが、是非、お静の方(今回、玉三郎さんが演じたお役)を演じたいと思われて、昭和31年に歌舞伎として初めて上演されたそうです。

 

こんな物語です。
開国か攘夷かで国中が揺れていた幕末。大老井伊直弼は、開国を断行し暗殺の危機にさらされています。雛祭りの前夜、幼くして命を落とした娘鶴姫の命日に、直弼の旧知の仲である仙英禅師はお経を上げるため、井伊家の下屋敷を訪れています。仙英禅師は傍らにあった直弼がしたためた屏風に目をとめて、その墨痕には逃れられない険難の相があると言い、側室お静の方に直弼に危機が迫っていることを伝え、「一期一会」と書き記した笠を残して立ち去るのです。下屋敷に現れた直弼は、その笠に書かれた「一期一会」という言葉をみて、禅師が自分に別れを告げたと知って、これから起こるであろう自らの運命を悟り、しんしんと雪が降る中、華やかに飾られた雛人形の前で、お静の方と酒を酌み交わし二人きりで語り合うのでした。

 

二人が雛祭りの夜に契った彦根時代の埋木舎での貧しくても楽しかった幼い頃を思い出しながら、あの頃に帰りたいと述懐し、直弼は、藩主になった結果、お静に悲しい思いをさせたことを詫び、自分が信じて正しいと思い、国を想い決然と実行した方策を誰にもそして後世の人にも理解してもらえないであろう苦しみを打ち明けます。

 

お静の方は「正しいことをしながら、世に埋もれたままの人もある」と慰めると、それを聞いて晴れやかになった直弼は、「次の世も又次の世も決して離れまい」とお静の方の肩を優しく抱きしめるのでした。

 

井伊直弼が桜田門外で暗殺される前夜の様子を描いた作品です。美しい桃の節句の雛壇の前で通わせる愛するもの同士の情愛が心を打つ、国難に立ち向かった男の心情を描いた名作です。

 

いいお芝居でした。感動しました!

 

彦根藩主の14男として三百石の捨扶持をあてがわれ、埋木舎と自嘲する質素な屋敷に住んでいた己が、運命のいたずらで藩主となり、幕閣に加わり、大老にまで上り詰めはしたが、几帳面な性格ゆえに、多くの敵を作り若い有望な人材を死なせもした我が身を振り返り、これで良かったのかという後悔と、こうするより道はなかったのだという己を信じるしか無いという諦念を、幸四郎さんは見事に演じておられました。風格がありましたね〜。

 

直弼はお静の方と幼き頃過ごした故郷を懐かしみながら、「政道を預かるものはすべて捨石なのじゃ。いかに世に誤られようと、蔑まれようと、己を信ずるところを貫き通して、石の如く死ねば良いのじゃ」と運命をさとり、「何度生まれ変わっても夫婦だ」とお静の方に語りかけ、「来世は間違っても大老になるまい」と呟くのです。このシーンは本当に胸にグッときました。

 

攘夷派への過酷な弾圧で、歴史的には「赤鬼」と呼ばれた井伊直弼を主役にこれほどの深い感動的な物語を書かれた北條秀司さんは凄いなと思いました。

 

その幸四郎さんの芝居を受けて立つ、お静の方を演じた玉三郎さんの立女形としての貫禄も素晴らしかったです!幼き頃より共に育った直弼の身を不安と悲しみを押し殺し、一途に想い、健気に側で支えるお静の方を、少女のように汚れのない女性として、可憐に品良く演じておられました。

 

ラストシーンに漂う詩情と余韻にしばらくはボーっとしてしまう名舞台でした。

 

次は舞踊です。
五世中村富十郎七回忌追善狂言
上◎越後獅子(えちごじし)
角兵衛獅子 中村鷹之資さん
下◎傾城(けいせい)
傾城    坂東玉三郎さん

 

『越後獅子』は五世中村富十郎七回忌追善狂言として、富十郎さんのご長男、中村鷹之資さんが角兵衛獅子を勤められました。五世中村富十郎さんは舞踊家、吾妻徳穂さんのお子さんでしたので、舞踊に定評のある方だったんですね。

 

角兵衛獅子とは、遠く越後の国から江戸へやってきて、踊りや軽業を見せて商いをしていた大道芸人のことです。江戸時代の風俗を今に伝える、華やかな踊りでした。鷹之資さんもお父様の追善狂言ということで、緊張もされたでしょうが、身体をいっぱいに使い、軽妙に元気に力一杯舞台上で生き生きと踊られていました。楽しかったです〜。

 

次は玉三郎さんの『傾城』です。
傾城とは、美人および遊女の意味です。漢書に美人を「一顧傾人城,再顧傾人国」と表現したのに基づいて、古来君主の寵愛を受けて国 (城) を滅ぼす (傾ける) ほどの美女をさし,のちに遊女の同義語となりました。浄瑠璃、歌舞伎の役柄に多く取入れられ、女方の基本の一つとされています。

 

傾城は、平成23年に初演されました。20分足らずの踊りなのですが、動く錦絵のような豪華で美しい舞台に最後まで釘付けでした(笑)。

 

ファーストシーンの吉原の仲之町での花魁道中の素晴らしさに息を飲みました!ほんの数分なのがもったい無い〜(笑)。衣装も手の込んだ芸術品のようで、客席の外国の方も息を飲んでましたよ〜(笑)。

 

玉三郎さんならではの、玉三郎さんだから踊ることのできる舞踊ではないでしょうか。眼福でございました!(笑)。

 

最後は、秀山十種の内 『松浦の太鼓』です。
"秀山十種"とは、明治・大正・昭和にかけて活躍した名優 初代中村吉右衛門さんが当たり役とした演目をまとめたものです。「秀山」は中村吉右衛門さんの俳号です。今回、松浦鎮信を演じた染五郎さんにとって曾祖父にあたる初代吉右衛門さんの芸を、叔父様の当代の吉右衛門さんにお稽古をつけていただいたそうです。こうして芸が受け継がれていくのも歌舞伎の見どころの一つですね。

 

こんな物語です。
元禄15年12月13日、俳諧師、宝井其角は弟子で赤穂浪士の大高源吾に、雪の両国橋で出会います。源吾は煤竹売りに身をやつしていました。源吾は其角が詠んだ「年の瀬や」の上の句に「水の流れと人の身は 明日待たるるその宝船」と詠んでその場を去っていきます。翌日、松浦鎮信の屋敷で句会が催されます。鎮信は赤穂浪士が一年経っても未だ仇討ちをしないことに腹を立て、源吾の妹で松浦家に奉公しているお縫に暇を与えますが、其角から源吾の付句の話を聞き、その意味を思案します。そこへ、隣の吉良邸から陣太鼓が鳴り響き、鎮信は赤穂浪士の討入を悟るのでした。

 

赤穂浪士の吉良邸討入の前日から当日を外側から描いた、忠臣蔵外伝物のなかでも人気の名作だそうです。

 

これも面白いお芝居でしたね〜。

 

松浦鎮信という赤穂びいきのお殿様を演じた染五郎さんが、魅力的じゃないと成立しないお芝居ですね。ちょっと子供っぽいお殿様なんですね〜。浪士の討ち入りはまだかとやきもきし、駄々をこね、大仰に騒ぎ立て、周囲を振り回すちょっと困った人なんです(笑)。そんなお殿様を染五郎さんは伸び伸びと軽やかに、明るく演じてらして、観客席は暖かい笑いに包まれていました。それが下品にならないところが染五郎さんの良さだなあと思います。このお殿様は心から赤穂浪士の事を心配し、応援しているんです。その人間的なおおらかな愛情が伝わる演技でした。これから染五郎さんの持ち役になっていくのではないでしょうか。

 

この日は心から歌舞伎を楽しませていただきました。

 

今回のチケットは実はある方から頂いたのです。僕のこのblogに度々登場する、ヘアーメイクアーティストだったもう亡くなってしまったのですが、友人の横畠明さんと仲が良かったという方が僕のこのblogを読んで、コメントをくれたのです。昨年のクリスマスに初めてお会いして、チケットをいただき、歌舞伎座でもお会いして、観劇後に横畠さんの思い出話をさせていただきました。彼が亡くなってもう10年も経つんです。昨日のことにも思えるし、随分昔のようにも感じます。でも縁というのは不思議なものですね。こんなblogでもやっていたおかげで、優しい心にまた出会うことが出来ました。

 

感謝です。ありがとうございました。