こんばんは。

僕が1月から仕事が忙しかったことはこれまでのブログでお話しました。情報誌の春号は大きな問題もなく無事納品され、現在は少し時間の余裕も出来たような感じでした。15日の金曜日は17日と18日の朝に掲載される新聞の原稿を3本仕上げて入稿し、帰りは終電になってしまいました。新聞の制作もなかなか気苦労の多い仕事なんです。朝刊に掲載の場合は前々日の17時か18時までにデータを新聞社へメールで送らなければいけないのですが、締め切りに間に合ったことはないですね~。

入稿の1時間前でも突然、商品が変更になることはザラだし。ただ商品を右から左へ入れ変えればいいわけではありませんし、その商品に合ったイメージのレイアウトを一から考えるのは僕な訳です。入稿前には必ず社長のOKが必要です。僕の新しいレイアウトが出来るまで、社長と新聞者の担当者が待っていると思うだけでも結構な精神的プレッシャーを受けるものなんです。

新聞の原稿サイズですが、新聞は1段、2段と段で数えるんですね。半5段とか全5段とか全15段とか。どの新聞社も呼び方は統一されているのですが、しかし基本である1段のサイズ(縦と幅のmmサイズのこと)が新聞社によって微妙にちがうんです。入稿データの作成方法も新聞社によってそれぞれ違ってややこしいんですよ~。同じ日に違う新聞社の原稿を何点か制作することはとても神経が張りつめて疲れるんです。新聞は審査も厳しいし。

僕は基本的に決められた時間に遅れるということがとても苦痛に感じる人間なんです。どんな時も約束の場所に30分前には着いていないと落ち着かないんです。なのでどんな理由があるにせよデータ入稿が遅れるということは僕にとってとってもストレスなんですね~。「いいじゃない。少しくらい遅れても」と言われたりすると「もう少し、制作する人間の身になってよ」と心の中で叫んでしまい、ストレスが倍になってしまうんです。あわてると普段しないようなミスをしてしまうこともありますしね。それで僕は少し金曜日は疲れていたんだと思います。

週末の土日は休日でした。百貨店やファッションビルに店舗を出している、ファッションに詳しい男子なら必ず知っているブランドでチーフデザイナーをしていて、昨年、経営者とデザインの方向性の問題でどうしても自分のデザインに対する信念を曲げることができず、会社を退社してしまった友人から久し振りに突然、連絡があり土曜日に会うことになりました。そのブランドのイメージは彼が一から作り上げた物で人気のあるブランドだったんですよ。でも売上げが少しづつ下がり始めると、経営者はせっかく作り上げたブランドイメージをいともたやすく捨てて、今売れている他のブランドに似た物を作れと平気な顔をして言ったらしいのです。長年、ファッション業界で誠実に情熱を持ち続け、誰かのコピーではない常に新しいと感じてもらえるようなものを作り続けることに努力したきた友人にしてみたら、そういう場所には我慢が出来なかったのでしょう。彼は会社を辞めたんですね。これからどうするかも決まっていないのに。「いい年なのに融通がきかないね」なんて言う人もいるでしょう。でも何もないところから、何かを生み出す仕事ってそんなに単純な事じゃないんです。別に何かを作る仕事がエライなんて言っているんじゃないんです。ただデザインもそう、音楽もそうだと思うのですが、物を作る仕事というのはどんな制約があったとしても、自分の心の底から湧き出す想いや理想を形にし、たくさんの人達に指示されて、最終的には売上げというものに結びつける難しい仕事なんだと理解してほしいのです。

それを理解してくれない場所や人のもとでは働けないと決断した友人は僕はとても素敵だと思うし好きなんです。

そんな彼から久し振りに連絡があったので、彼の近況も聞きたかったし、土曜日は彼と映画にいきました。観た作品はアン・リー監督の「ライフ—オブ—パイ トラと漂流した227日」です。チケットは彼が予約をしてくれていました。3Dバージョンでした。彼には申し訳ないのですが、僕は3Dって実は苦手なんです。3Dで観た作品ってどれも皆、僕の胸を震わせてくれたものがなくて…。「ライフ—オブ—パイ トラと漂流した227日」は評判も良く、楽しみにしていた作品で、作り手の言いたいことはよーく理解もできたのですが、この作品を観た方が言う「哲学的」とか「深遠なテーマ」「映像の美しさ」というものを僕は少しも感じられなかったです。結構たくさんの作品を観て来た、いい年の僕からすると物足りない、歯がゆい作品でした。3Dメガネも少し疲れました。

映画を観たのが19時からの回で、終わってから「ライフ—オブ—パイ」に影響されてカレーを食べに行きました。本格的なインドカレーです。僕はそんなに食が太い方じゃないのですが、久し振りに会った友人があれもこれもとオーダーし、ちょっと無理して食べてしまって、楽しい時間は過ごせましたが、僕は少し胃もたれで疲れてしまいました。

終電近く、友人と分かれて、自宅へ戻り、遅かったのですがシャワーを浴びようと浴室の手前にある洗面所へ入ろうとした瞬間から僕の記憶がなくなったのです!

目が冷めると車椅子に乗っていて、ある病院のコンピュータ断層撮影室(CT)にいました。後頭部の右下部分が腫れて膨らんでいるのがなんとなく分かりました。書類を2枚渡されて、名前をサインし、名前と住所を言うように言われ答えて、頭の「断層撮影」を撮りました。そして即入院させられました。何が起こったのか分からなかったのですが、僕はゆっくりでしたがちゃんと喋れたし、サインも出来、入院着も自分で着替えることが出来たので、看護士さんたちは安心した様子でした。その夜は痛み止めを座薬でしてもらい、点滴を打ちながら休みました。しかし寝返りを急に打つと、頭がぐらんぐらんと大きく揺れて、激しいめまいに襲われて、その度に吐き気を催して大変でした。

翌日の朝、病名が告げられました。脳挫傷(急性硬膜下血腫)です。頭部外傷によって挫傷部位から硬膜とクモ膜の間に生じた静脈性の出血が血腫を形成する状態です。自宅の洗面所に入る瞬間、気を失い真後ろに真っすぐ倒れたらしいのです。1月はとても仕事が忙しかったし、このブログを最初から読んでくれた方は分かるでしょうね。僕は疲れていたんです。その疲れが積み重なって突然意識を無くしたらしいのです。過労ですね。でも自分がそんな状態に堕ちてこんな怪我をしてしまうなんて夢にも思っていなかったです。

コンピュータ断層撮影(CT)は2度撮りましたが、幸いなことに頭を打った瞬間、パッと出血をしたのですが、僕の場合それが広がらずにすぐ止まってくれたので、大事に至らずにすんだのです。でも入院した当初は苦しかったです。何を食べても吐いてしまうし、熱が微妙に上がって下がらないし、痛み止めが切れると痛みというより気持ち悪くて鬱のようになるし。

色んな経験をさせてくれますよ。ほんとに。

3日目には核磁気共鳴画像(MRI)を撮りました。初めての経験でした。なんだかSF映画のようでした。終わったらすごく疲れてしまって気分が落ち込んでしまいました。

4日目に脳波検査をしました。頭に電極を装着して、覚醒時や睡眠時の脳波を記録するんです。また様々な刺激(目の開閉・深呼吸・光刺激など)に対する脳波の反応も調べます。これが一番キツかったですね~。最後に行う過呼吸(安静閉眼状態で、掛け声にあわせて、4分間深呼吸をする)が苦しくて、終わったら手が痺れるし、息は上がるし2度としたくないです~。

その後すべての検査の報告があったのですが、初めて自分の頭の中を観ました! シミひとつない綺麗な同じ色のトーンの脳内でした。出血は無くなってきているが、三半規管に少し気になるところがあり、頭痛もまだ治まってはいないが退院してもいいでしょう。ということで昨日、退院してきました。

まだ僕は家の中で倒れて、頭を打ったので症状が軽かったんです。これが屋外の高い場所から落ちたり、コンクリートにぶつけたりしたのであれば、今こうしてパソコンの前に向っていられたかどうか分かりません。

なんだか今回のことで、今携わっているデザインの仕事に対してこれでいいのかという疑問が湧いています。今やらなければいけないデザインの仕事も僕は誇りを持って向き合っています。けれど僕一人にすべての制作をまかせきりにしている会社のあり方に、友人のように僕も信頼というもののが失われていく気がしています。僕ががむしゃらに頑張ったって、僕がいなくなっても代わりなんていくらでもいるんです。会社なんてそんなもんですよね。

今回の経験を前向きに捉えれば、「それでいいの!もう目を覚ましたら」と言われているような気もします。これからの自分の生き方を考える時なのかも知れません。

この経験でふざけて人の頭を軽々しく叩いたりすることの恐ろしさに気づかされました。頭は人間が生きていく上でとても大切なものです。大事にしてくださいね。