こんばんは。

10日、女優の森光子さんが肺炎による心不全のため東京都内の病院でお亡くなりになりました。享年92歳。眠るように息を引き取られたそうです。

また一人、芸道一筋に生きてこられた名優が旅立たれてしまいました。演劇ファンとしては寂しい限りです。演技者としては決して順調な人生ではない、長い下積みを経験された方でしたから、杉村春子さんのように、劇団の代表として新劇の世界で生きてこられた方や、山田五十鈴さんのようにお若い頃から映画スターとして生きてこられた方にはない、多彩な芸の引き出しをお持ちの、ただ単に芝居が上手いという表現だけでは語れない魅力をもった女優さんだったなあと思います。

「あいつより、上手(うま)いはずだが、なぜ売れぬ」
よく森さんがTV等で笑いながら口にされていた自作の川柳です。下積み時代の複雑な心境が伝わりますね。

世間ではよく、「日本のお母さん」と呼ばれてらしたようですが、僕はどこか腹に一物を持っていたり、高慢で底意地の悪い女性というか、打算的な女性を演じている時の森さんが好きでしたね。小憎らしいという言い方がビッタリで、観ていていつも「上手いな~」と呟いてしまう数少ない女優さんでした。

僕は森さんのたくさんのお仕事を見続けてきた世代ではありませんが、僕が観た印象的な作品を書いてみたいと思います。

舞台では、2009年5月9日の森さん自身の誕生日に東京・帝劇で前人未到の上演2000回を達成し、千秋楽時点で2017回、一人の俳優が主役を演じた年数45年は日本記録という、代表作の「放浪記」。「放浪記」のことは以前このブログで書いたので興味のある方は読んでみてください。

1978年に初演され、芦屋雁之助さんとのコンビで、戦前活躍した漫才コンビであるミスワカナ・玉松一郎を演じ、1979年には文化庁芸術祭大賞を受賞した『放浪記』と並ぶ森さんの舞台での代表作「おもろい女」。今回はこの舞台のことを後ほど書いてみたいと思います。

森さんは映画での代表作は少ない方なのですが、僕が印象に残っている作品はこの3本です。
1967年、東宝創立35周年記念作品、成瀬巳喜男監督の遺作「乱れ雲」です。森さんは、ヒロイン、司葉子さんの義理の姉役で、司さんの実家、青森の十和田湖にある旅館を女手一つで切り盛りしている、勝ち気でやり手の女性で、旅館の新館を建てる時に世話になった加東大介さん演じる男と不倫関係にある女性の役でした。森さんがどじょうすくいを踊るシーンがあるのですが、横で一緒に踊っているのが赤木春恵さんです。憎しみも悲しみも、時が次第に癒してくれるんだと思わされる波光のきらめきのような素敵な作品です。自分の生き方に迷うことなく、腹を括った女性を演じると、森さんはほんとうに小憎らしいほど上手いです!(笑)。

1966年、山本薩夫監督の「氷点」。我が子を殺した殺人犯の娘を養女にした一家に起こる心の葛藤を描いた三浦綾子さんの大ベストセラーが原作の作品です。主演は若尾文子さん。北海道の旭川で病院を営む辻口啓造(船越英二さん)の幼い娘、ルリ子がある日殺されます。犯人は日雇い労働者の男でした。啓造は妻の夏枝(若尾文子さん)が浮気をしている隙に娘が殺されたのではと疑います。啓造は、我が子を失い、心を病んでしまった夏枝の為に、生まれたばかりの女の子を養女として引き取ります。その女の子は実はルリ子を殺した殺人犯の娘でした。それは自分を裏切った夏枝に復讐するためだったのですが…。成長した女の子(陽子)を演じたのは安田道代(大楠道代)さん。森さんは陽子の叔母、辰子役でした。森さんが亡くなったことを聞き、何気なく「氷点」を見直してみたのですが、あらためて名作だと思いました。水木洋子さんの脚本が見事ですね~。原作の三浦綾子さんの長編小説のテーマである「原罪」「贖罪」というキリスト教的主題を分かりやすく、巧みに無駄なくまとめあげた手腕は流石です! 森さんは愛憎渦巻く物語の中で、薄倖な陽子を、幼い頃から近くでいつも気にかけ、見守っている叔母を印象的に演じてらっしゃいます。

1987年、市川崑監督の「映画女優」。原作は新藤兼人さんの『小説・田中絹代』で、新藤さん流に分析した女優・田中絹代像を市川監督流のイメージでクールに再現した作品です。田中絹代さんの波乱の半生と日本映画史を重ね合わせて描いた、市川監督の映画に対する熱い想いが込もった作品でしたね。大好きな作品です。田中絹代さん役が吉永小百合さん。森さんは田中絹代さんの母親、ヤエ役です。田中絹代さんの精神的支えであった母親を存在感たっぷりに表現されています。

TVドラマでいえばやはり「時間ですよ 1970年~73年」でしょうね。CSでも繰り返し放送されている、日本のドラマ史に残る名作の1本だと思います。久世光彦さん演出で、東京下町にある銭湯「松の湯」が舞台で、森さんはおかみさん、船越英二さんがだんなさん、従業員の健ちゃんが堺正章さん、浜さんが悠木千帆(後の樹木希林)さん、みよちゃんが浅田美代子さん、隣のまりちゃんが天地真理さんです。今観てもすごく斬新なドラマなんですよね~。ハチャメチャしてるようで、ちゃんと人生を考えさせてくれたり、生きていればいいこともあるさと感じさせてくれるんですよ。それはやはりドラマの中心に森さんや船越さんのような素晴らしい演技者がいたからだと思います。堺正章さんが歌う挿入歌「街の灯り」作詞:阿久悠さん 作曲:浜圭介さん 編曲:森岡賢一郎さんが僕、大好きなんです。阿久先生の詞がとても素敵なんです~。名曲です!
時間ですよ昭和元年(1974年~75年)も大好きです!

和宮様御留(1981年)の観行院役も良かったです~。第20回毎日芸術賞を受賞した有吉佐和子さんの長編小説をスペシャルドラマ化した作品です。公武合体のために徳川将軍家に嫁ぐことになった皇女和宮でしたが、和宮と母の観行院は頑強にそれを拒否します。観行院は下働きとして奉公していた少女フキを和宮の替玉に仕立てあげようとしますが、フキは次第に精神の均衡を失っていき、自ら命を絶ってしまいます…。数奇な運命に弄ばれ、歴史の片隅に消えていった少女フキを演じた大竹しのぶさんも素晴らしいのですが、手段のためなら名も無い人間の命などどうなってもかまわぬと思っている、冷酷な和宮の母、観行院を演じた森さんも本当に素晴らしいです! こういう位の高い冷たい女性を演じている森さん好きです~。

花のこころ(1985年)、東芝日曜劇場1500回記念として3時間枠で放送されたテレビドラマです。脚本は橋田壽賀子さん、プロデューサーは石井ふく子さん、演出は鴨下信一さんです。貧しい農民の娘に生まれながら、四代将軍・家綱の生母となった“おらん”(大原麗子さん)の数奇な生涯を中心に本当の幸せとは何かを問いかける良いドラマでした。将軍家光役が石坂浩二さん。おらんの運命を大きく変えることとなる人物、春日局を演じたのが森さんでした。徳川家存続のためなら自分の命を差し出してもいいと思っている女性を貫禄たっぷりに演じられています。

忍ばずの女(1994年)。明治・大正・昭和を粋に自由に生き抜いた上野下谷の名妓だった、ドラマプロデューサー石井ふく子さんの母をモデルに、名女優、高峰秀子さんが脚本を書いたスペシャルドラマです。演出は鴨下信一さん。石井さんのお母様がモデルの、東京下谷の売れっ子芸者・川本君鶴役は大原麗子さん。この作品の大原さん、綺麗なんですよ~。森さんは君鶴の義母、たき役でした。決して悪い人じゃないんです。娘のためを思ってすることが、娘からすると余計なことなんですけど、だまっていられない、花柳界という特殊な世界に生きる女性を時には憎たらしく、時にはやさしく絶妙に表現されています。良いドラマですよ~。

それでは僕の大好きな舞台「おもろい女」のお話をしましょうか。1978年が初演。芦屋雁之助さんとのコンビで、戦前活躍した漫才コンビであるミスワカナ・玉松一郎を演じた、『放浪記』と並ぶ森さんの舞台での代表作です。2004年の公演からは雁之助さん逝去に伴い、段田安則さんが新パートナーとなられていました。

僕が観賞したのは1998年1月の日生劇場での公演です。小野田勇さん作、三木のり平さん演出。
モデルとなった初代ミス・ワカナさんは戦前に共に慰問に行ったなどの事から森さんが師と仰いだ女芸人だそうです。彼女以前の女流漫才は、みな派手な裾模様の着物だったそうですが、敢然と洋服に変えたのがワカナさんで三味線が主流だった楽器を、アコーディオンに変えたのが一郎さんだったんだそうです。ワカナさんが歌い、一郎さんが弾いた後、ワカナさんが一郎さんをほめます。「うまいですわ、おじょうずですわ」「いいえ、そんなことはありません」「いいえ、本当に天才ですわ、私の歌は…」みたいに逆説的な言い廻しや手法もこのコンビが始めたものだそうです。今のお笑いでは普通の手法ですけれど、当時としては新鮮で斬新な笑いだったのではないでしょうか。女性が男性をやっつけて話の主導権を握るという女性上位漫才の祖とも言われているそうです。

戦争中から戦後にかけて、芸能人の間でヒロポンが流行します。疲れがとれる、芸に打ち込める、気分が壮快になると言って進められるうちに中毒になり、表舞台から消えて行った人たちはたくさんいます。ミヤコ蝶々さんも自伝の中で書かれていました。晩年、足が不自由になったのは、若い時にヒロポンを打っていたせいだとも言われていました。かしまし娘の歌江ねえちゃんこと正司歌江さんも告白されていますね。当時は薬局で簡単に買えたということなので、仕方がないことだとも思いますが、ワカナさんもヒロポンのために、命を縮めてしまった一人なんですね。

僕はこの「おもろい女」を観るまでミス・ワカナという女芸人さんのことなどほとんど知らず、予備知識なく観賞させていただいたので、ラストシーンでとても衝撃を受け、観賞後も中々、余韻が引かなかったことを憶えています。次第に薬物に溺れ、薬物なしでは起き上がることもできなくなってしまうミス・ワカナさんを鬼気せまる演技で壮絶に森さんは魅せてくれました。感動しましました。三木のり平さんの演出も良かったですね~。森さんは作者の小野田さんに、「汚れ役になってもいいから生涯をありのままに書いて」とたのんだということです。しかし森さんはワカナさんの生涯は綺麗事ばかりではなかったかもしれないが、決して恥じるようなものじゃなかったと全身全霊で演じてらっしゃったように思います。ミス・ワカナさんの物真似をされている訳ではないんですよね。観ていると、ワカナさんってこんな人だったんじゃないかと思わされる、思わずすごいなあと言ってしまうんですよね。森さんの演技を観ていると。

九州の興行師、山路たまを演じてらしたのが故、山岡久乃さんでした。これがまた素晴らしかったんですよ~。山岡さんはこの舞台の後、しばらくしてお亡くなりになったのではなかったでしょうか。大好きな女優さんのお一人でした。この役は山岡さん亡き後、赤木春恵さんが引き継がれていましたね。

森光子さんは日本演劇史に残る、名女優のお一人だと思います。「おもろい女」で芸術祭大賞、「放浪記」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1984年に紫綬褒章、1991年に毎日芸術賞、1998年に文化功労者、2005年に文化勲章、2009年国民栄誉賞受賞。

「死んだ後、何かを残すような女優じゃなくてもいい。生きているあいだ、みんなに愛される女優であれば…。」生前、森さんがおっしゃっていた言葉です。
ご冥福をお祈りいたします。