こんばんは。

阪神淡路大震災が起こって今日で17年目を迎えました。
毎年、1月17日は心穏やかではいられない日です。

ニュースで流れる追悼集会の映像を見るたびに、心は深く
沈み込み、身体全体が倦怠感に包まれます。

震災で壊滅状態だった町並みも、この17年間で何事もなかった
かのように美しく整備され穏やかな時間が流れているように
見えます。けれどここに至るまでの住民の方々の苦労は
言葉では言い尽くせないものがあっただろうと思います。

17年前の1月17日、僕は六甲の自宅マンションで一人で
寝んでいました。両親は前日から和歌山の親戚宅へ出かけて
いました。寝ていると遠くの方で「ドーン」とという音がして
目を覚ますと、突然地響きがして、地中にひそむ何か大きなものが
こちらに向ってくるような感じがして、ベッドの上に半身を
起こすと、最初は縦揺れがして自分の身体が毬をつくように
何度も浮き上がり、ベッドにお尻が叩きつけられるようになり
それがおさまると横揺れがして、だるまさんのように左右に激しく
何度も揺さぶられ、身体は硬直したまま、目は開いたまま、
何もできない状態でした。揺れは何分くらいだったんでしょうか。
長く感じました。

その後、自宅の電話は通じず、公衆電話は通じたので長い列に並び、
両親と無事を確認し合い、2日後に父が西宮北口から徒歩で4時間
かけて助けにきてくれたました。六甲にはしばらく住めなかったので、
一緒に和歌山へ避難することにしました。途中、焼け出されて寒い中、
公園に避難されている方々へ家に保存してあった食料や着なくなった
衣料品などを少しだけれど手渡しながら父と瓦礫がころがる道を
歩いた途中で見た、ねじれた阪急神戸線の線路、一瞬にして崩れさった
いつもの見慣れた町並みの衝撃…。でも通っていた幼稚園の教会の
十字架は変わらずそこに立っていたんです。
それだけはうれしかったです。

いまでもついこの間のことのように思い出されます。
あの震災にあわなかったら、僕は東京で暮らしてはいなかったと
思います。たくさんの人の人生や運命を変えた出来事だったんだ
と感じます。もうあれから17年。どんなに月日がたっても
あの日見た景色や街の匂いは忘れられないです。

毎年1月17日はちょっと感傷的になってしまいますね。