先日、津田なおみさんの『映画監督 田中絹代』を読みました。
田中絹代といえば、日本映画黄金期を代表する名女優です。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、木下惠介をはじめ、多くの名監督たちに愛され、数え切れないほどの名作に出演しました。
しかし私は、この本を読んで改めて考えさせられました。なぜ田中絹代は監督になろうとしたのだろう。その答えは、彼女自身のこんな言葉の中にあるような気がします。
「私の一番の活動期間を戦争によって失ってしまった。戦後、その失われた時間を取り戻そうとした。この気持ちが監督をやった基本です」
田中絹代が戦前の松竹でどれほど大きな存在だったかは、今ではなかなか想像しにくいかもしれません。14歳で映画界に入り、小学校も満足に通えなかった少女は、人一倍の努力を重ねて松竹の看板女優へと成長しました。やがて映画会社の大幹部たちからも一目置かれる存在となり、誰もが認めるスターになります。
けれど、頂点に立つことは同時に不安との戦いでもありました。若い女優たちは次々と現れる。自分は年齢を重ねていく。当時は三十歳を過ぎれば年増と見なされる時代でした。若さが何よりも重視された映画界で、田中絹代もまた焦りや不安を抱えていたようです。
その頃に巡ってきたのが『愛染かつら』でした。実はこの作品、当初は高峰三枝子主演で企画されたといわれています。しかし最終的に白羽の矢が立ったのは29歳の田中絹代でした。ところが絹代は二度も出演を断っています。
子持ちの未亡人役。当時の女優にとって決して歓迎できる役柄ではありませんでした。処女性を失った役のイメージがつけば人気に影響するとも考えられていた時代です。それでも信頼する城戸四郎の説得を受けて出演を決意します。結果は空前の大ヒットでした。しかし、その成功は長く喜びだけをもたらしたわけではありませんでした。
翌年、戦争が始まります。映画にも検閲が入り、国家への奉仕が求められる時代になっていきました。そんな中、松竹は城戸四郎の方針でメロドラマ路線を維持します。その象徴として批判の的になった作品の一つが『愛染かつら』でした。さらに木下惠介監督の『陸軍』では、出征する息子を見送る母親を演じましたが、ラストシーンは軍部から「女々しい」と非難されます。田中絹代は、精魂込めて演じた作品が次々と時代の論争に巻き込まれていく姿を見ていました。
そして戦争が終わった時、彼女は36歳になっていました。
後年、田中絹代はこう語っています。「映画女優は、サラリーマンと違って定年というものはありません。しかし、それよりもっと厳しい定年があります。それは若さには限度があるということです。カメラの残酷なクローズアップの前では衰えた若さを覆い隠せるものではありません」
胸を打たれる言葉です。
戦争によって失われた数年間は、女優として最も輝けたはずの時間でもありました。けれど田中絹代は、その現実に屈しませんでした。年齢を重ねることへの葛藤を抱えながらも、与えられた役に真摯に向き合い続けます。
その経験は演技に深みを与え、戦後の彼女はむしろ円熟味を増した名女優として高い評価を受けるようになります。毎日映画コンクールでは二年連続で主演女優賞を受賞しました。そして、その副賞として三か月にわたる渡米の機会を得ます。
ハワイに到着した田中絹代は大歓迎を受けました。その時、現地記者からこんな質問を受けます。「監督をやりたいと聞いていますが」すると彼女はこう答えました。「それは私にとって一生の夢ですが…」さらに、「自作自演の映画を一本撮ってみたい」と続けたそうです。この時点では、まだ監督になる具体的な計画はありません。しかし、その夢はすでに彼女の中で育っていました。
渡米中には、ハリウッド女優が監督へ転身するという話も耳にします。それは田中絹代に大きな刺激を与えたのでしょう。帰国後、自分も何かを実現しなければならない。そんな思いを強くしたといわれています。
田中絹代が監督になった理由は一つではないと思います。女性監督がほとんど存在しなかった時代に挑戦したいという思いもあったでしょう。戦争によって失われた時間への思いを胸に、若さには限りがあっても映画への情熱に限りはないと信じた田中絹代は、女優としてだけでなく監督としても映画と向き合おうとしたのではないでしょうか。私はそんな気がしてなりません。
田中絹代は名女優でした。けれどそれ以上に、映画と共に生き続けようとした映画人だったのだと思います。戦争によって最も輝ける時間を失い、年齢への不安や世間の批判にもさらされながら、田中絹代は映画界を去ろうとはしませんでした。
女優として生き抜き、さらに監督として新しい道を切り開いたのです。私は彼女の監督作品を何本か観ていますが、そこには女性ならではの繊細な視点と、人間への温かな眼差しが息づいていました。もちろん映画は監督一人で作るものではありません。しかし、多くの困難を乗り越えながら六本の作品を完成させた事実は、田中絹代の並外れた情熱と覚悟を物語っています。
近年、監督・田中絹代が世界で再評価されているのは偶然ではないでしょう。彼女は名女優である前に、生涯をかけて映画を愛し続けた一人の映画人だったのだと思います。











