母がまだ腹痛だけを気にしていた頃、「(昨年1月に亡くなった犬の)マリーが呼んでいる」とよく言っていました

私は休職から復職したばかりで、真面目に取り合う時間もなく、「何を言っているんだか……」と聞き流していました

でも、本当に呼んでいたのかもしれません。


私は数年前に大きな交通事故(自損)を起こして、車が3/4回転しました

一瞬の出来事だったと思いますが、回る間ゆっくりと再生をしているような感覚で、エアバッグが開くのも見えて、回る感覚もありました

近所に住んでいる方が音を聞いて、すぐに出てきてくれたようで、その方たちと対向車に乗っていた男性が、車を起こして私を車から出してくれました


その日は母の兄が亡くなった日でした

叔父も波乱万丈な人生を送って、最期は心不全で相当苦しんで亡くなったようです

私は呼ばれたのかな?と思いましたが、打撲1ヶ月と慢性硬膜下血腫の手術のみで、今も生きています

祖父母がまだ来なくていいよ、と止めてくれた気がしました

叔父の遺骨は別れたお嫁さんの子どもに最終的に引き取られたので、今どのような状態かわかりません

もしかしたら、粗末に扱われて(ずっと墓参りされていないとか……)寂しい思いをしているのかもしれません


マリーはいつも私たちと一緒だったので、独りお寺さんに預けられて寂しかったのかもしれません

母は持病の鬱病もあり、また父がパワハラ(DV)をしいたため、「早く死にたい」と言っていました

母の気持ちを考えると、その言葉に何も返すことができませんでした


母が膵臓癌ステージⅣと知ったとき、また余命を知ったとき、母はどうしていいか分からないようでした

選択肢は治療して余命を延ばすか、治療はしないで、自然に任せるかのどちらかでした

どちらを選択しても1年後にはこの世にいないという厳しい選択でした

母は放心状態で、私が取り敢えず治療をすることをその日は決めて帰宅しました


以前の記事に書いた通り、結局治療はしませんでした

母もよくよく考えたのでしょう

放射線治療は苦しいと聞きます

それで治る見込みがあれば頑張ったのかもしれません

でも、所詮余命を少しだけ長くするだけです

それも、長くて1年……

私も母と同じ選択をすると思います

延命だけの、それも1年もたないかもしれない、苦しい治療……

もうこれ以上苦しい思いをして欲しくなかったのです


母も私も強がりなのか、お互い泣き言も言わず、最期のときまで普通に過ごしました

少しの間、介助の手伝いをしたくらいです


私は独身で結婚もしたことがないので、両親に改まって育ててもらった感謝の言葉も伝えたことがありません

成人したとき、社会人になったとき、両親が還暦のとき……節目は沢山あったと思います

今後悔していることは、母に「ありがとう」と伝えられなかったことです