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POISON MODERATO

「moderato」は音楽用語で「程良い速さ(で)」。「POISON MODERATO」とは、「控えめに毒を吐きます」という意味です。

前の記事から続く。

前の記事の最後の方でちょこっと触れたけど、今回の総選挙、

民主党は改選前よりも議席微増
共産党は8→21へと大幅躍進

という結果となった。

私が思ったのは、

民主党政権の3年3ヶ月をお忘れか?

ということだ。
口蹄疫や大震災その他の自然災害など、国家的な危急に直面しても何ら有効な手を打てず、経済政策も無策で超円高を放置、外交も拙劣極まりなく中韓の増長と日米の離間を招くという、「やるべきことをやらず、やってはならないことを全部やった」結果、国益をいちじるしく損ねる結果となった民主党政権。このときの記憶は未だ生々しいはずで、その記憶があれば、間違っても民主党を再度政権与党に復帰させてたまるか、となるはずなのだが、必ずしもそうはならなかったようだ。
やはりこれは、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という、日本人の民族性が悪い方向に作用している気がしてならない。勿論、そういう民族性があったからこそ、終戦後も欧米諸国と友好的な関係を築くことができたとはいえるけど。

もうひとつの懸念材料が、共産党の躍進。
私がこういうことを言うと、「共産党をなぜそこまで敵視するのか?危険ではないではないか」とか、「極左暴力主義なんてのは昔の話で、今は穏健路線になってるよ」とか思われる方がいらっしゃるかもしれない。
しかしですなあ、現実はそんな甘いもんじゃないっすよ。
そういうことを仰る方に謹んでお伺いしたいのだが、

日本共産党の綱領をお読みになったことはありますか?

私が思うに、もし綱領を一度でも読んだことがあるなら、共産党は支持・礼賛するのが躊躇されるレベルの政党であると言って差し支えない。なぜなら、共産党の綱領では

・革命を目指す政党である旨を明言
(暴力革命は正面から言っていないが、革命自体は容認)
・日米安保解消、自衛隊解体

が明記されているし、あげくには

・天皇制廃止と天皇の退位

が盛り込まれているからだ。これらは明らかに、日本国の国体を否認するものであり、到底容認できるものではない。一兆歩譲って、共和制への移行を是とするとしても(私は嫌だが)、国防どうすんの?という話である。共産党は同時に「憲法9条堅持」路線を表明しているので、もし日米安保も自衛隊もない状態で他国に侵略された暁には、「侵略されて殺されてくれ」ということになる。こんなバカな話があるかっての!
だから私は、投票に行かない人たちも度し難い「平和ボケ」だとは思うが、もっと度し難い「平和ボケ」は、共産党に投票した有権者だと思っている。

こんなことでは、有権者の方も質的なレベルアップを図らなければどうしようもない。
そもそも民主政治そのものが、有権者の側に一定のレベルを要求するものだから、有権者のレベルが低いと、それは民主政治ではなく衆愚政治という、全く似て非なるものになってしまうわけである。
そこで教育に期待するところ大なのだが、公教育は未だ日教組とGHQ謹製の自虐史観が幅を利かせているからなあ…。
「日本を取り戻す」のはなかなか大変である。それはそうだろう、戦後70年近くもWGIPのとりこ仕掛けの中にいたのだから、そこから脱却するのは容易ではない。希望を捨てずに頑張ろう。

今回はこの辺で(・ω・)/
自公圧勝という結果(あくまで議席数だけを見れば)で幕を閉じた、今回の総選挙。

私としては、

勝つには勝ったが(´・ω・`)

という感じしかしない。何ともいえないもやもやしたものが残る、後味の悪い結果となってしまった。
格闘技で喩えて言うなら、

判定で勝つには勝ったが、勝者が病院送り
敗者は負けたのにノーダメージ

という印象だ。

率直に言って、以前に危惧していたことが的中したといえる。
以前弊ブログでは、「次世代の党」に対して私が抱いていた懸念を率直に吐露したことがある。その内容は、

1 ネット上の熱狂がリアル社会とリンクしていないこと
2 保守層の票を自民と次世代とで食い合うことにより、自民党が勢力を縮小する

ということを指摘もの。
1はまあそのとおりなのだが、2はそうならなかったものの、票の食い合いによって好ましからざる候補者の当選を阻止することができなかった。
具体的に言うと、

自民・維新 → ほぼ勢力維持
公明・民主 → 微増
共産 → 躍進
次世代 → 惨敗


という結果になった。つまり、次世代が一人負けという形で勢力を激減させ、その激減した分が共産党などに回ったということだ。

では、どうしてこうなったのか。

考えられる原因は、党の側、有権者の側にそれぞれある。
まず党の側に関して言えば、

次世代の党の選挙戦略があまりにもアレ

ということに尽きる。
次世代の党の持ち味は「良き日本への回帰」なのだから、それだけに専念して訴えていれば、また結果は変わっていたかもしれない。あるいは、自民党では飽き足らない保守色の強い有権者に訴えかければ(そしてそのように選挙区を選択できれば)、また違った結果になったかもしれない。
しかし実際には、公明党に喧嘩を売る無謀なことをやらかし、盛大に玉砕してしまった。玉砕したのが、田母神俊雄・西村眞吾両氏だったから、保守層に与えた衝撃は甚大であった。

誤解のなきようお断りしておくが、私が「公明党に喧嘩を売るな」と言ったのは、私が公明党やその背後の宗教団体に親和的だからという理由では決してない。あくまで、「物には順序がある」と考えるからだ。
「現在」の自民党の連立相手が公明党。「現在」そうなら、物事の順序として、まず次世代の党自身である程度の勢力を築いてから、自民党との連立を打診しても遅くなかったのではないか。その段階をすっ飛ばし、自民党から公明党を引き剥がそうと思っても、それは「あの男の人には、あの奥さんより私の方がふさわしい!」といって横恋慕するのと大して変わらない。このように、既婚男性に対する横恋慕に譬えると「ありえねー」と思えてしまうのだが、次世代の党がやろうとしたことは、まさしくこの「ありえねー」ことだったのだ。
そりゃうまくいくわけがないでしょ。物事の順番をすっ飛ばしてるんだから。
それ以外にも、経済政策が余りにもアレだったとか、公約が理想論に堕してしまっていたとか、さまざまな指摘があるが、それらはいちいちそのとおりなのだろうと思う。

なお、これも誤解のなきようお断りしておくが、私は決して次世代の党に否定的評価をしているわけではない。むしろ、これまでの日本にはなかった真正保守路線の政党として、期待するところも大きかった。だからこそ残念なのだ。

以上とは別に、民主党の勢力が案外縮小されず、また共産党は大躍進したというのも懸念材料である。
民主党は、代表の海江田万里氏こそ落選したものの、閣僚経験者の大半は当選、それも小選挙区での当選者も少なからずいる。
また共産党は、議席を改選前の8から倍以上の21へと大躍進。しかし、これも懸念材料でしかない。
これらの問題は、前述した「有権者の問題」でもあるのだが、長くなってきたので記事を分けることにする。

今回はこの辺で(・ω・)/
私は殆どテレビを見ない。見るとしても、ニュースとスポーツ中継くらいなものだ。
しかし、時にはドラマも見る。

現在テレビ朝日で放送している「相棒」と「DoctorX」。いずれも高視聴率を誇る同局の看板ドラマであるが、見てみるとこれが結構面白い。台詞回しも練られているし、何より結末。特に後者は、主演女優のキャラクターもあるのか、見ていてスカッとする。

しかし。
私がここで取り上げるからには、批判や懸念を表明するものであるんだけど(^_^;)

「相棒」は、警察組織の内部での権力闘争やその顛末が組み込まれていることが多いように思われる。「DoctorX」も、フリーランスの天才的外科医を通して現在の大病院の闇を描いており(その点では漫画『ブラック・ジャック』と共通するものがあると思われる)、いずれもざっくり言えば「業界の病理」を描いているわけだ。
それでは、これらのドラマを見続けているとどうなるか。

警察や医療に対する、
漠然とした不信感が植え付けられないだろうか?
もしそうなら、それは脚本に仕込まれた意図なのだろうか?

そんなことを考えてしまう。
制作局のテレ朝は朝日新聞社の系列であり、極度に左傾化した報道その他の姿勢から見れば、「坊主憎けりゃ袈裟まで」ではないが、何がしかの意図がある、と勘繰らざるを得ないのだ。
だからこれらのドラマは、単なるエンターテインメントとしては面白いのだが、上記のような意図があるのだとすれば、注意が必要だと思った。

あと、これは医療ドラマの別の病理でもあるのだが、実は医療ドラマはモンスター患者を生み出す原因になっているのだそうだ。その仕組みはこうだ。医療ドラマと言えどもドラマだから、視聴者がカタルシスを感じることのできる脚本にする必要がある。たとえば、難病の患者が成功率の低い手術を受けて成功し、見事に助かる、というような。
しかし現実の医療はそううまくはいかない。手術だってギャンブルの場合もあるだろう(批判はしていませんよ)。ギャンブルである限り、成功は100パーセント保障されるわけではない。
ところが、ドラマではそのような手術がいとも簡単に成功してしまうから、成功しなかった患者は、「なんで成功しなかったんだ!医療ミスだ!」といって騒ぎ立てるに至る。
この辺は、ドラマがフィクションであることと、フィクションであるが故の限界を弁えてくれと言いたいのだが、なかなかそうもいかないようだ。
さらに余談を言えば、30年ちょっと前にある教師もののドラマが大ヒットしたが、あれがモンスターペアレントを生む遠因になったのだそうな。「あのドラマの先生は一生懸命なのに、息子(娘)の担任は(ry」という理屈で糾弾されるわけだ。そりゃドラマの先生がスーパーマンなのは、脚本の必要上のことであって、現実の話ではない。そこをごっちゃにするからおかしくなる。

ドラマひとつとってもこの体たらくなのだから、日本人がメディアに対するリテラシーが低いのも、仕方がないという気がする。

まあ、ドラマはあくまでドラマ、作り話として楽しみましょうということである。強引に結論に持っていった時点で、今回はこのへんで(・ω・)ノ
タイトルの「愛国カルト」とは、私の造語。定義は、「愛国意識に凝り固まって現実と妥協しようという意識が希薄な、原理主義的な考えを持っている人」。
こういう人、ネット上、特にTwitterには非常に多い。

そもそもの出発点として、私達保守愛国派は、あくまでネット上でのマジョリティに過ぎず、リアル社会においてはマイノリティでしかない、このことを確認しておきたい。前回も言ったけど、ネット上での言論が盛り上がっているからといって、自分をマジョリティだと思ってしまうのは危険だ(恥ずかしながら、私自身がそうだった)。
ならば、いかに私達の主張をネット上にとどまらずリアル社会に広げていくのか。これは、難しいテーマであり、かつネットツールの限界を示す問題として、改めて取り上げたいと思う。今回のテーマは別のところ。
とにかく、私達の主張を広げるには、まず「リアル社会の現実」というものが立ちはだかるわけで、そこと折り合いをつけなければ始まらない。ただ観念的にお題目を唱えているだけではダメだし、まして現実に対して「おれたちの考えが受け入れてもらえないのはお前らが悪い!」となってしまったら、行き着く先はテロリストであり、それでは本末転倒である。

前置きが長くなってしまったが、要するに

リアル社会の現実を受け入れず、自分達の主義主張が正しい

と徹頭徹尾、固く信じているのが

愛国カルト

なのだ。

ここまで読んで来られた方はひょっとしたらお気づきかもしれないが、こうした「愛国カルト」の思考パターンは、サヨク(※)のそれと酷似している。あちらも、理想を実現させようと努力はするのだが、現実を受け入れてその上で、ということをせず、現実の方を強引に変更させようとする。それがかなわないと、現実を呪って恨み言を吐く。これは言うまでもなく「現実逃避」である。

※=私が「サヨク」というときは、反日売国の徒を言う。片仮名表記にしているのは、愛国左翼と区別するため。

では、なぜ「愛国カルト」がサヨクより怖いのか?
それは、

愛国心が根底にある

からだ。
サヨクはそこまで深く考えずに行動しているが、愛国カルトは真剣に日本の行く末を心配し、その上で意見を発信し、行動している。愛国心がある分だけ、他者の「愛国心のなさ」「愛国心の足りなさ」が許せなくなる。それが、同じ保守愛国派でありながら、同志であるはずの人物を罵倒し、さらには敵対することもいとわないという、サヨクも顔負けの闘士すら生み出してしまう基になっている。

…あのさあ。

ただでさえマイノリティなのに、
保守派内部で内ゲバやってどうするの?

としか思わないんだが、こんな体たらくでは、保守愛国派の大同団結どころか、サヨクに付け入らせる隙を自ら作ってしまうだけである。
だから、こういう「愛国カルト」は、サヨクより怖いのは勿論だが、それ以上に、保守愛国派の足を引っ張る危険分子であるともいえる。そんなわけで、「本当はサヨクより怖い『愛国カルト』」というタイトルにしたわけだ。
それと、怖いのはTwitter。Twitterは、フォロー・フォロワーという関係を築いて情報をやり取りするのだが、趣味や嗜好を同じくする者とばかりつながっていると、どんどん自分の思考が濃縮され、自分(たち)と異なる意見が許せなくなってしまう。これはまさに「自分で自分を洗脳した状態」なのだが、そうなってしまったら、そこから脱却するのは容易ではない。私がこのブログを開設したときから述べている「Twitterの限界」も、実はこの点にある。ある意味では非常に怖いツールでもあるわけだ。

私たち保守愛国派は、彼ら「愛国カルト」の存在を反面教師にしていかなければならない。保守愛国には「こうであらねばならない!」などというものはないはず。あるとすればそれは、日本国の国益と国体を守ること、これに尽きる。

人の振り見て我が振り直せ。

私たちも、ひょっとしたら知らず知らずのうちに「愛国カルト」化しているかもしれない。私自身も、そのことは機会があれば立ち止まって反省したいと思っている。

何だかまとまりのないことを書いてしまったが、今回はこのへんで(・ω・)ノ
現在、保守派の間でも注目されている「次世代の党」。
これまでになかった本格的な保守派の政党として、保守派有権者の期待も大きい。勿論、私も大いに期待している。
特に、ネット界隈において、次世代の党への期待度が高いように思われる。というのも、保守派有権者の中には、現在の自公連立政権を苦々しく思っている層や(この層は、公明党の支持基盤の宗教団体に対するアレルギーを持っている層とかなり重なる)、自民党の中に左派(親中・親韓派)が少なからず存在することなどを快く思っていない層が一定数存在することからすると、次世代の党がこうした有権者の受け皿になり得るからだ。

それを知ってか知らずか、次世代の党は、驚くべき候補者を、驚くべき選挙区に擁立してきた。
その候補者とは、元航空幕僚長で、2月の東京都知事選挙にも出馬した

田母神俊雄氏

であり、選挙区は

東京12区

である。
東京12区といえば、あの公明党の重鎮・太田昭宏氏の選挙区。与党同士の選挙協力のためか、ここには自民党は候補者を擁立していない。他には、生活の党と共産党から候補者が立つ。
この選挙区では、かねてから「保守派であり、かつアンチ公明・アンチ創価」の層の票の行きどころがないと言われていた。前回の選挙では、この層の票は公明党と維新に流れたとされている。今回田母神氏の立候補によって、同氏がその層の票を全て掻っ攫うことができるなら、同氏の当選も十分にありうるという。

田母神氏の東京12区からの立候補の報に接したネットユーザーは、かなり歓迎しているようだ。まさに「熱狂」と評して差し支えない状況。

ただね。
懸念もなくはない。

ネット世論って、同志が沢山いるから盛り上がっているように見えるけど、実はリアル社会では少数派でしかないんだよね。私自身そのことを痛感したのが、2月の東京都知事選挙。あのときもネット上は大いに盛り上がって、かく言う私が「ひょっとしたらタモさん当選あるんじゃね?」と思ってしまっていた。実際には次点の宇都宮氏の後塵を拝する票数でしかなかったけど。
だから、ネット上でいくら盛り上がっても、それがリアル社会とリンクしなければ全く意味が無い。これがひとつ。
あともうひとつは、次世代の党はあくまで「野党」でしかないということ。野党だから、勿論自民党との選挙協力もしていないし、候補者の調整などもしていない。あくまで与党は自民党と公明党。公明党、さらにその背後にいる宗教団体へのアレルギーも分からなくはないが、次世代が与党の一角を占める公明党に正面から喧嘩を売ることが、本当に得策なのかどうか。
これはまだ、次世代の選挙政策の問題なのだが、私の最大の懸念は、

自民党と次世代との間で保守層の票を食い合う

ことにより、

自民党の議席減=勢力縮小

という事態が出来すること。
そうなればどうなるか? まず確実に言えるのは、自民党内で「安倍下ろし」が起こるだろうということ。現に、後で撤回したようだが、幹事長の谷垣禎一氏は270議席を勝敗ラインとした。
谷垣氏のこの言葉は、「万一この数字を下回った場合には、自民党内で安倍総理の責任を追及する火の手が上がりますよ」という、党からの警告(脅迫?)でもある。
もし「安倍下ろし」が始まれば、現在安倍内閣が取り組んでいる諸問題、それも喫緊の課題である諸問題が全て先送りか棚上げ、最悪「なかったこと」にもされかねない。そうなれば国益を害すること甚だしい。次世代の党が躍進することは、保守派にとって望ましいことではあるのだが、そういう問題も孕んでいるわけだ。

以下は私自身の個人的な考えだが、あくまでも今回の選挙では、自民党を圧勝させて安倍総理の政権基盤を強固にすることこそが、国益を最大限に守ることのできる選択であると考えている。
だから、候補者も比例代表も、私は自民党一択だ。

ここではあえて、誰々に投票してください、とは、私は言いません。
しかし、とりあえず選挙には行きましょう。「誰がやっても同じ」とか「誰に入れても変わらない」という諦観が全くの誤りであることは、5年前の民主党政権誕生とその体たらくで、身にしみてわかったのではないでしょうか?

他にも言いたいことはありますが、今回はこの辺で(・ω・)/