マルコの福音書10章21,22節:お金の取り扱い方 | trocphacompcert1987のブログ

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イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが1つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼はこのことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。          ~新約聖書 マルコの福音書10章21-22節~イエスはお金を稼ぐことを否定したわけではない。お金は神様からの賜物であり恵みである。また、貧乏人であることが良いと言う意味でもない。イエスに持ち物を売るように言われた青年官僚は小さいときから正しく生きていた。イエスもそれを知っていた。そんな彼には1つだけ欠けた事があった。それはお金を稼いだことではなく、彼にとって神様が必要でなかったことである。問題の本質は心の中で本当に神を必要としていないことである。お金はしばしば私達の心を盲目にする。お金を稼ぎ、安心や自信を手に入れることで、神様の存在が不要な感覚に陥ることがある。お金は本来、神様から頂いたものであるのに・・・時にお金に対して異常なほどの心配をしてしまうこともある。イエスははるかに大きな永遠の富を持っている。同時にそれを手放すだけの愛を持っている。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。          ~新約聖書  第Ⅱコリント人への手紙8章9節~イエスは私たちのために常に犠牲を払う。いつでも富を手放す。私たちを救うために、自ら人間となり、罪を背負い、私たちのために死んでいった。十字架の上で。 聖書・教会・キリスト教とは?:東京の某プロテスタント・クリスチャンが綴る ...