翔の実家の訪問を終えて湖に沿った道路を走行している時だった。時刻は19時半にもなろうとしていた。誰もいない湖水浴の出来る砂浜を通り過ぎた直後、普段は人けのない沖合に誰かが泳いでいる姿が一瞬見えた。明雄は空き地で車をUターンさせると湖水浴場の駐車場に車を止めた。水着は持っていなかったが、短パンだったのでTシャツと靴を脱ぐとそのまま湖水の波うち際まで進んだ。沖合を見るとさっきの人影がこちらを見ている。長い髪、女のようだ。明雄は恐る恐る足を湖水に進めた。長い髪との距離は10メートル程になった。首までつかる位置まで進むと、相手の顔が見えて来た。少女のようだ。明雄は冗談のつもりで聞いた。
「人魚姫のミランダちゃんかな?」
相手は短く答えた。
「そうよ。」
明雄はきょとんとして少女を見、目の前の水中を見ると絡みあった水草が数本いく手を遮っているように見えた。とその時、長い髪の少女の泳いでいる足元の水面が盛り上がるように見えた。その瞬間、明雄は全身が凍り付くような衝撃を受けた。足が水面に反り返って来るとばかり思っていたのに、それは大きな尾鰭(おびれ)だったのだ。
明雄は今、不思議な満足感の中にある。夏休みの1週間を使って関東地方への自動車旅行を決行した。途中ヒヤリとした事はあったが無事に帰って来れた。道路地図と道路標識・案内標識だけを頼りにスピードは出さずに安全運転で行って来た。夜、夏蒲団を腹の上にのせて目を閉じていると、昨日までの旅行が次々に思い出されるのだった。最初の難関は五十里湖畔の砂利道走行、かなりデコボコだ。下は湖、路線バスと交差する時には死ぬかと思った。川治温泉・鬼怒川温泉を過ぎる。日光方面へ行く余裕は無いので、杉並木だけを堪能して進んだ。漢文の星川教諭からは「足利学校」の話は聞けなかった。会津には日新館があるからだ。日新館にしろ、足利学校にしろ1960・1970年代は高度経済成長の時代であり、毎年増える給料が関心の的であり、文化遺産に対する関心は一般的には強くはなかった。明雄が訪れた足利学校も孔子廟が残っているだけだった。会津若松高校は論語の精神に貫かれている高校だ。生徒会も生徒手帳もそうだ。そんな会津若松高校を慕ってやって来たのが社会科の鈴鹿教諭である。教諭は栃木県の進学校で教えていたが、今は会津若松高校で教えている。ある時こんな話を聞いた。明治時代、会津若松高校と宇都宮市高校のそれぞれの前身にあたる旧制中学が京都に修学旅行に行った。幟(のぼり)を立て絣(かすり)、袴、学帽姿の両校の生徒が京都の街中で遭遇した。会津藩は佐幕派、宇都宮藩は勤皇派である。たちまち取っ組み合いの喧嘩になったというのである。その様子が明治時代の京都の新聞に載っていると云う。明雄もその光景を描いた映画を見た事があった。夏休みの関東旅行は鈴鹿教諭の影響もある。

足利から高崎に出て、八王子方面に向かい、小田原から箱根の山を目指した。長い険しい坂道である。自分の足で走っている訳ではないのに、楽ではない。随分走ったと思える頃急に視界が開けた。見晴らしがいい。台形になっているからだろう。

いきなり場面は上野に飛ぶ。不忍の池を右手に見て進むと左手に坂がサッと見えた気がした。フォーク歌手が歌っている。坂だ。さらに進んで左折してしばらく行くとと両側が大学のキャンパスらしい。大きな道路とぶつかるので左折してしばらく行くと、左手に赤い江戸時代の門が見える。帝都大学だ。

どう走ったか正確には覚えていないが、電車のガード下を走っている。向こうから学生と思しき集団が歩いて来る。夏休みだというのに、閑散とはしていない。両側は古本屋街だ。更に進むと下り坂だ。やがて左手に時計塔が見える。西北大学だ。

走る距離を少なくし、駐車して宿に入り、問題集を広げた。いい夏休みと言えるだろう。あと1週間ある。翔の実家を訪問して自慢話をしてやろう。



その日がやって来た。免許は取ったし、伯父から借りた車もある。3代幕府横断の旅だ。足利幕府は京都の室町までは遠すぎて行けないので、足利学校で代用、鎌倉幕府は箱根の峠、江戸幕府は本郷3丁目と高田の馬場、極々素人の独断と偏見の旅、出発だ。
実家のある南会津から、東京に行くには、乗り合いバスで栃木県藤原まで行き、そこから私鉄に乗り終点の浅草で降りるのが一般的だった。だから子供の頃は、上野よりも浅草を東京の玄関口のように思っていた。それはさて置き、大学受験と言うと日本国中に張り巡らされた日本国有鉄道のターミナル駅が先ず思い浮かぶ。昭和47年の話だ。それは、金沢であり、仙台であり、福岡であり、大阪であり、東京である。東京駅で降りてもすぐ近くには目指す国立大学は無い。上野駅である。そして私学の方は、山の手線の高田の馬場駅である。
明雄が自炊をして体得した信念は、自分の体、自分の足、自分の考えを信頼して生きて行こうとする態度だ。だから、電車で行けば、その間参考書を広げて勉強できるかも知れないし、実際自分の読まねばならない本の読書不足は痛感していたが、直接、上野に行ってしまおう、高田馬場に行ってしまおう、箱根の峠に、足利に、行ってしまおうと思ったのだ。