明雄が高一の時参加していたクラブ活動は、山岳部だった。会津地方の山に5度登山した。最初は磐梯山系の猫魔岳、次は競歩大会の関係で飯盛山に、3度目は只見町の朝日岳、4度目は南会津町の七ケ岳、最後は県高校総体で、桧枝岐村の帝釈山。顧問の先生が2名同行し寝食を共にし色々と御指導頂いた。登山という種目は、山に登る速さを競う訳ではない。審査項目はあり、審査員がチェックしインターハイ出場校が決まる。地区予選は無かった。最初の大きな大会で県下の山岳部のある全ての高校の生徒が顔を合わせる。いわき市高校の生徒からは、精悍な印象を受け、福島市高校の生徒からは、知的な感じがした。郡山市高校の生徒は見つけられなかった。普段は体力づくりの為に、スクワットやランニングを行なう。ランニングコースは鶴ヶ城や鶴ヶ城への戊辰戦争時の砲撃の拠点となった小田山が多かった。登山の度に紀行文を書く。コースや出来事を客観的に記述する。出会った植物の正確な名称なども求められる。コースの下調べ、地図を見ての予想、等高線を見ながらの予想と実際に登った反省、気候・気温の事、高度な技術としては、夜、気圧等のラジオからの情報を地図に記入しながら、天候を把握する事。食料の買い出しも含めて、カロリーや栄養から、登山をいいコンデションで行う為の経験知が必要だ。そういった総合力が問われる。集団行動の士気も。寝食を共にする集団生活は寮生活などと同じく教育効果が高い。生徒同士の会話もそうだが、教師と一緒の生活はありがたいものである。