「作家は両性具有だ。」と言ったのは五木
寛之氏である。講演は19歳の頃、神田共立
講堂で聞いた。上の発言はその時のもので
は、ない。その時の講演は大江健三郎氏な
ども登壇した政治的な集会でのものだった。
静かに考えてみる。上の命題を、である。
作詞家にしろ、小説家にしろ、戸籍上は男
でありながら、文章において「女言葉を使う
。」想像上女になりきらなければ、女のセリ
フは出て来ないだろう。荒っぽい言葉の女も
いる。女子が「僕は、、、、」などと言った
りしても芝居などだったら比較的抵抗は少な
いだろう。マイノリティの問題だとしても、厳密
には、恋において最後のライバルは同性とは
限らない。そんな時代だ。「作家は精神的
な両性具有者だ。」という命題は、混沌と
した状況に対して何かホットした感じを与
えてくれるように思えてならない。
寛之氏である。講演は19歳の頃、神田共立
講堂で聞いた。上の発言はその時のもので
は、ない。その時の講演は大江健三郎氏な
ども登壇した政治的な集会でのものだった。
静かに考えてみる。上の命題を、である。
作詞家にしろ、小説家にしろ、戸籍上は男
でありながら、文章において「女言葉を使う
。」想像上女になりきらなければ、女のセリ
フは出て来ないだろう。荒っぽい言葉の女も
いる。女子が「僕は、、、、」などと言った
りしても芝居などだったら比較的抵抗は少な
いだろう。マイノリティの問題だとしても、厳密
には、恋において最後のライバルは同性とは
限らない。そんな時代だ。「作家は精神的
な両性具有者だ。」という命題は、混沌と
した状況に対して何かホットした感じを与
えてくれるように思えてならない。