師匠を持つことに失敗したことが片翼の挫

折であるとすれば、もう片翼は何か?友情の

失敗である。すべて私の責任だ。そして

 またして大聖人の御金言によって救われた

のである。

 「悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言

を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破る

といふ事なり 唱法華題目抄 日蓮大聖人」

 「涅槃経二十二に云く悪象等に於ては心に

恐怖する事無かれ悪知識に於ては怖畏の心

を生ぜよ何を以ての故に是悪象等は唯能く

身を壊りて心を破ること能わず悪知識は二

倶に壊るが故に乃至悪象の為に殺されては

三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三

趣に至らん 唱法華題目抄 日蓮大聖人 」
 
 事故で死んでも地獄には落ちないが、悪

友に心を破られて死ねば地獄に落ちる。悪

友=悪知識は近づけてはならない。という

のである。自分が悪友になる可能性を含め

て、思い当たる事はないだろうか?

 「心」を「師匠」にしてしまえば、地獄。

「悪友」に「心」を破られれば地獄である。

そして、人生にはこんな恐ろしい事があるん

だよ。と、前もって注意してくれる人は、

仏と仏の弟子だけなのだ。

 しかも、仏の使いには会い難い。

そして出会わず青春を終えるころには、精

神異常者、社会的不適応者になっている可

能性がゼロではない。「青春の夢」「青年

の可能性」とは、光と影の事である。影も

忘れてはならない。