November 27, 2011(Sun) | 今日の安達太良(地上では旅人・寄留者)

今日の安達太良(地上では旅人・寄留者)

福島県本宮市内より望む安達太良連峰+我が家のネコたち+日々の出来事

2011年11月27日(日)
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今朝の安達太良
晴れ Sunny(6:36 November 27, 2011)
午前6時半過ぎの気温氷点下1.5℃。放射冷却で冷え込み霜降る朝。
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除染作業
晴れ Sunny(9:23 November 27, 2011)
自宅付近の通学路の除染作業に参加。背景に安達太良。福島第一原発から約58km。人も山野も放射能を浴びて呻き苦しむ、厳しい現実。
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午後の安達太良
曇り Cloudy(13:42 November 27, 2011)
昼過ぎから曇り。

●午前中は集会(礼拝)出席。
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ネコ・シェルター
曇り Cloudy(15:42 November 27, 2011)
10日ほど前から我が家の庭に住みついた子猫(写真上)のために午後はネコ用簡易シェルターを作った(写真下)。まだ警戒心が強く屋内には入ろうとしない。
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アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
(ヨハネ12:24 塚本訳)
●一粒の麦は「地に落ちて」死なねばいつまでも一粒のままである。落ちることを恐れていつまでも落ちようとしなければこれもまた一粒のままである。否、落ちずにいることはできない。人(の肉体)は草木と同様いずれは萎れ、枯れて死ななけばならない。
●とすれば問題は「落ちどころ」である。磽地(いしぢ)に落ちれば決して実を結ぶことがない。現代風に言えばアスファルトやコンクリートに落ちれば枯死、何ら実を結ぶことなく(賜ったいのちの)無駄死となる。
●主イエスは、信ずる者に永遠のいのちの実を結ばせるために、神に叛いたこの世に落ち、罪の贖いために死んでくださった。
●すでに罪の報酬は支払われ、信ずる者は罪と死の支配から解放されている(ロマ6:20-23、8:1-11)。約束された永遠のいのちの前に死は完全に無力化されている(Ⅰコリ15:55,56)。
●私たちも一粒の麦として「落ちるべきところ」に落ちて死ななければならない。真に豊かな人生とは永遠のいのちに至る実を結ぶ人生である。肝心なのは「落ちどころ」である。「地に落ちて」死ななければなならない。磽地、アスファルト、コンクリートの上に落ちて死んではならない。
●神とキリストとを信じると「落ちどころ」が示され、神が「落ちるべき地」に落としてくださる。その人の死は豊かな実を結ぶ。
●麦の穂ひとつにも満たない小さな集会であるが、愛する者とのしばしの別れを悲しむことはあっても死を恐れることなく望みをもって死線を通過する集会(エクレシア:原義は「呼び集められたもの」)でありたい。各地にそのようなエクレシアが形成されることを祈り求めよう。(本日の集会感話より)

[付言]当集会には長年有機農業に携わってきた優れた農業者が複数おられる。一粒の麦が地に落ちて死ぬとどれくらいの実を結ぶのであろうか。稲作の場合一つの苗から1000粒という話も聞いた。以下は集会後、集会メンバーTAさんが下さったメールとご自身がスケッチされた麦の穂。都会育ちで農業に疎い小生には楽しい学びである。
集会メンバーTAさんからのメール
(以下引用)
「小麦の穂」
今日は有難うございました。

思い出して小麦のカット(引照者:下の画像、TAさんご自身のスケッチ)見ましたら、精密に写していないことがわかりました。もう少し穂の長さが長いと思います。穂の列は3列であったか、4列であったか、今となっては定かではありません。

一茎の麦がこのようになり、そして茎が株立ちになるので、×10ぐらいにはなるのではないでしょうか。Oさん(引用者:有機農業者)が500粒とか言っておられたので。一粒が地に落ちて発芽して、成長して500倍になる。植物の力はすごいですね。

ご存知だとは思いますが、小麦は小麦粉になります。この他、今あまり作付けするのを見なくなりましたが、大麦があります。

麦飯の麦です。(宮田先生の一麦学寮のシンボルマークは大麦です。宮田光雄集の箱のカットです。)

ライ麦は日本では家畜の飼料に栽培していますが、ロシアの黒パンの原料です。以上

(以上引用終り)

主に在る楽しく豊かな交わりを感謝。
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●午後5時半-7時市民プール。
●夜はしばらく黒崎幸吉「詩篇註解」WEB化のための入力作業(120-124篇)。