つい先日、大好きだったおばあちゃんが天国へ旅立ちました。

母方のおばあちゃんだから一緒に住んではいなかったけど、いつも明るくて器用でセンスのいい働き者のおばあちゃん。


8年前にアルツハイマーを発症して、3年前からは自分のことも誰だか分からなくなって施設にお世話になってたおばあちゃん。


もう飲み込むことも忘れてしまったから、最期はお母さん達三姉妹がおじいちゃんと交互で看病しながら看取るために自宅へ連れ帰った7月だったね。


連絡をもらった時、もう長くはないと聞いたけど、息子くんRの抜けられない野球の試合が立て続けにあって、すぐには動けそうもなく。
結婚して遠くにいること、悔しく思いました。


でも、お母さんからおばあちゃんなら「目の前の子供たちと旦那さんのこと、しっかりするんだよ」って言うと思うよって言われて、子どもの頃に聞いたおばあちゃんの嫁時代、お母さんのこと、そして今の自分。いろんなことがサーっとKeyの中を通って行ったよ。


KeyはKeyの場所でするべきことをして、それでも会いに帰りたかったから、会いに行けるタイミングまでどうにか頑張ってって願いながら毎晩ヒーリングを送りました。

でも、その願いはエゴだなぁって思う自分もいて、そう思うとやっぱり届いてるのか自信が湧かないものだね。


ある時、生きてるうちに会いに帰ろうとするのはやっぱり難しいんだって区切りがついて。
おばあちゃんにとってそして見守る人達にとって最善の時までどうか穏やかにすごせますようにと祈りを変えてヒーリングをさせてもらったよ。
きっと、おばあちゃんは受け取ってくれてたと思ってる。


お葬式のあと、お母さんと話す機会があって何となく符号するものをKeyも受け取りました。


アルツハイマーになって、もう自分のことすらもわからなくなっていても、見えないところでおばあちゃんの意思を感じる場面がたくさんあって、全国にバラバラに住んでる私たち孫やひ孫世代まで全員集まってお葬式を迎えられたのも、そこで何年かぶりに親族集まって近況報告しあえたのもおばあちゃんのおかげであり望みだったんじゃないかと思っています。


どんな時でも底抜けに明るくて、多趣味で才能に溢れていたおばあちゃん♡
おじいちゃんからの弔辞(って言うんかな?)を聞いていて、やっぱり鮮明に思い出すのはそういうおばあちゃんだから、あなたの多才さの種が我が子に宿っているのを感じることが今のKeyの喜びでもあります。


おばあちゃんを見送って奈良に戻ってきてから肉体が無くなって直接触れ合えなくてもこれからはいつでもそばにいてくれるってハッキリと感じる日々だよ。


おばあちゃんと過ごした時間、おばあちゃんが最期にくれた時間、そして、ただ純粋に誰かのために祈るということがとてもパワフルで、そしてそれ自体がKey自身も癒してくれるのだと教えてくれてありがとう。


おばあちゃんのことがあって、実家にも立ち寄ってそれぞれに過ごした時間もまたかけがえのない良い時間でした✨


やっぱり空に送る瞬間は涙が出たけど、それ以上に温かな空気に包まれていたあの空間はおばあちゃんらしさが溢れていたと思うよ。

今までありがとう♡
大好きだよ♡これからもずっと傍で見守っていてね❁✿✾ ✾✿❁︎