エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベルです![]()
アレキサンドリア中心部の東側、
地中海の浜辺を見下ろす丘に建てられた宮殿
このモンタザ宮殿は1932年、フアード1世によって夏の宮殿として建設されました。
宮殿の敷地には、ハラムレク宮殿と王宮庭園が加えられました。
宮殿にはオスマン・トルコ様式とフィレンツェ様式が混在し、2つの塔があり、
そのうちのひとつは、イタリア・ルネサンス様式の精巧な装飾が施されています。
正室を含む女性と家族のプライベートなエリアがハラムレクになり、
このモンタザ宮殿は公の執務・応接などを行ったサラムレクにあたります。
「In the House of Muhammad Ali A Family Alubum 1805-1952」Hassan Hassan
ムハンマド・アリー朝のロイヤルファミリーのメンバーだったHassanが
初めていとこたちに会った夏の思い出が語られています。
ハサンとファルークの妹
お写真お借りしています。
大叔母に呼ばれ、大叔母の兄、国王フアード、女王ナズリとその子供たちが待つモンタザ宮殿へ
イギリス人の教育係と姉妹弟で出掛けます。
カイロからアレキサンドリアへ鉄道で向い、
アレキサンドリアに到着すると
宮殿の侍従と2台の赤い車が彼らを待っていました。
モンタザ宮殿に到着すると、
出迎えてくれた大叔母の手にキスの挨拶をして、
フルーツシロップに水を混ぜたものと新鮮な果物を提供されます。
その後、黒い短いドレスと白いエプロンを付けたメイドから
大叔父である国王フアードからのプレゼントが運ばれてきました。
長姉にはサファイヤとダイヤモンドのペンダント![]()
もうひとりの姉にはダイヤモンドのブローチ![]()
ハサンには子供用のゴールドの時計![]()
メイドへ陛下に御礼と敬意を伝えるよう頼みました。
大叔父であっても、王だけに、直接ではないのですね![]()
その後、1階の大理石のテラスでいとこたちに紹介され、
女王ナズリが現れるまで、ボールで一緒に遊びました。
女王ナズリ登場
大叔母とともにあらわれたナズリ
ハサンは普段の恥ずかしがり屋な面も礼儀作法も忘れ、
女王の元へ駆け寄り、
首に腕を回し、ナズリの両頬にキスをしました。
それくらい魅力的なひとだったそうです。
挨拶が済むと二人は去り、
その後、小さな客間に通され、国王に紹介されました。
国王フアード
そこでは、ナズリのときのように礼儀作法を忘れるような事は出来ず、
王の手に接吻し、地面に臥す挨拶をしました。
その後、王は出掛け、ナズリと大叔母とともに昼食へ。
食事の途中で王が帰ってくると
皆一斉に立ち上がりました。
王の雷のような声で''Asseyez-vous''でまずナズリが座り、
次の''Asseyez-vous''で大叔母が着席、
そして、次の''Asseyez-vous''で皆が座りました。
家族の昼食会のメニュー一例を書きたかったのですが、
9品のフランス料理で、すべてフランス語のため、割愛します!
デザートだけがなじみのあるオンム・アリー(エジプトのデザート)でした。
ナッツやレーズンの入った冬に食べるとおいしい温かいパンプディングです。
昼食の後は広大なモンタザ公園へドライブへ出かけたそうです。
現在はロイヤルファミリーのように公園内で自由に車を走らせる事は出来ません。
3階の宮殿テラスからの眺め
宮殿のいたるところに見られる''F''
フアード王は母親の名前Ferialから、家族の名前の頭文字にFをつけました。
フアードが在位していた毎週金曜、
このモンタザ宮殿か、カイロのコッパー宮殿で
ハサンは未来の王となるファルークを含む、いとこたちと遊んだそうです。
そんな話を読んでいたからか、地中海が近いせいか、
開放的に感じられた宮殿でした。
アハメド・フアードは父親のファルーク1世とともに1952年にエジプトを去って以来、
今年、72年振りのアレキサンドリアへの帰還でした。
赤ちゃんのときで、もちろん何も覚えていないだろうけど、
1952年の革命が起こった時、ファルークの家族はこのモンタザ宮殿にいて、
軍の追手を逃れるため、アレキサンドリアにあるもう一つの宮殿、
ラス・アル・ティン宮殿へ車を飛ばしたそうです。
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モンタザ宮殿はムハンマド・アリー朝最後に建てられた宮殿になります。
他の宮殿とは色も形も違う風変わりに見える小さな宮殿です。
外観だけで味気無さを感じていたのですが、
実際、入ってみると全く印象が変わりました。
とても気持ちの良い宮殿でした![]()
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