古代エジプト異端王アクエンアテンの都を訪ねる 後編 | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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ミニヤ県にあるホテルから見えた早朝のナイル

午前7時になると太陽が差込み、ナイルを照らします

カイロから見られるナイル川とはまったく違った美しいナイルが見られます。

ホテルを出発して、広大なアクエンアテンの都、アケトアテンへ。
最初に訪れたのは、北の宮殿

ここの先輩の説明は、ほとんど聞いていませんでしたヽ(゜▽、゜)ノ

その後、訪れたのはアクエンアテンの墓。
内部は写真撮影禁止なのですが、カメラを出す気にならず、外観すら、撮っていません

(お写真お借りしています。)
このお墓が都市計画のスタート地点と言うのでしょうか。
太陽が昇るように都市が、このお墓から広がっていくようにつくられたそうです。
お墓は生前につくられるそうです。
間違っていたら、すぐ訂正します!

そして、境界碑のひとつへ。
ナイル川両岸の断崖に10数個あるといわれています。

階段を上がるとアケトアテンの建設について書かれたヒエログリフ(象形文字)が見られます

この境界碑はわたしの理解がまちがっていなければ、
何度も出しているこの壁画↓のアクエンアテンとその家族を照らしている円盤が太陽で、
そこから太陽光線(手)が放射線状に伸びています
これが、太陽神アテン

その太陽神の形を都市計画に落とし込み、太陽光線の1本の先がこの境界碑のひとつ!
でしたよね!?先輩(゚ー゚;

下の資料の写真をご覧ください。
ステラといくつか書かれているのが見えるでしょうか。
ステラは境界碑のこと。

あら、ここにも太陽神の奇跡が!?(・・・しつこい
今回の資料、アマルナの都市を太陽の光がかたどっているのは、
ここ、上エジプトの冠の形

境界碑を見た後は、お墓だったかと思いますが(^_^;)
壁画がとても美しく、個人的にはここが一番感動した場所でした!

いつまでも眺めていたい壁画でした。

すべて太陽(神)が中心の王、都市だったのです。
朝、太陽が昇るように王が馬につないだ戦車のようなものに乗り、従者を従え、
東から民の元へ駆けていた、日没が来れば西から。
そんな王の日課の迫力ある壁画も見られます。
さっき見てきた宮殿の立体図は壁画の平面図ではありえないのですが、
そこにある壁画は俯瞰図(?)プラス正面から見た列柱やら、穀物やら、ベッドが描かれていました。
この説明では、きっと伝わらない(汗)
なので、機会があれば、ぜひ、実際にご覧になっていただきたいです!!

見えてきました!
最後の遺跡、アテンの小神殿

復元されている列柱

○で囲んだV字の谷間から太陽が昇り、アクエンアテンの都、アケトアテンを照らしました。

こちらは、ヒエログリフ(象形文字)のアケト、地平線という意味

アケトアテン、アテンの地平線


残念ながら、アクエンアテンの死後、
息子のツタンカーメンは、アテン神以前の信仰を取り戻し、
都をふたたび、テーベにうつしました。

エジプトのどの遺跡入場チケットにも見られる考古庁のマークはアテン神

なんだか皮肉な感じすらします。

往年の名ガイド、先輩のガイディング、おもしろかったです。
バスの中で、資料繰りながら、真剣に耳を傾けました。

壮大な都市計画から造られた都、アケトアテン。
従来の都を捨て、信仰を捨てた異端王アクエンアテンの考えに触れることができ、
アマルナの凄さがちょっぴりですが、分かった気がしました。

ご参加いただいたみなさま、長旅お疲れさまでした。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました(*^▽^*)


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