7月2日(火)は弊社スタッフのワエルさんのお誕生日をお祝いしていました。
ユースラと二人でケーキを買いに行きつつも、落ち着かない1日でした。
というのも・・・
その前日、エジプトでは、軍がデモの収拾のため、大統領と反政権の双方に「48時間以内に合意を目指せ」と求める声明を出した。合意できない場合は「軍が全国民が参加するロードマップ(行程表)を宣言する」としている。
~朝日新聞デジタルより~
明日からエジプトはどうなるのだろう。
そんな日にファウズィーヤは亡くなったのでした。
それから、1週間後の7月9日、軍事クーデターにより、モルシー大統領は解任されました。
ファウズィーヤって誰と思われる方が多いと思うので、以前、書いたブログなのですが、
こちらをご覧ください。
『エジプトの謎の美女 ~ファウズィーヤ・ビント・フアード~』
http://ameblo.jp/flywellegypt/entry-11339398414.html
彼女が住んでいる場所を調べてもらい、見に行ったこともありました。
できることなら、アポイントをとって、お会いしたかったひと。
小市民には、できることが知れていました
アレキサンドリアで聞き込みしてもらっても、引っ越したとか、見かけないとか、
どうやら、革命以降、安全を鑑み、現在、彼女はヨーロッパで生活しているのではないかということで、~2年前の革命以降、宮殿と名がつくムハンマド・アリー朝に由来する宮殿はすべてクローズしています。それも、強盗が横行したためといわれています。~わたしも納得していました。
1921年アレキサンドリアの宮殿に生まれ、2013年に同じくアレキサンドリアで亡くなりました。
エジプトのロイヤルファミリーであるがゆえに、
エジプトの歴史・政治とともに、家族の運命が翻弄され、激動の人生を送ったひと
激動のエジプトをつぶさに見てきたひと
享年92歳でした。
1952年のエジプト革命により
彼女が一員であったムハンマド・アリー朝は終焉を迎えます。
ファルークが追放された、その現場はファウズィーヤが生まれた場所、アレキサンドリアにあるラス・アル・ティン宮殿でした。
自由将校団がクーデターを起こし、国王を追放、権力を掌握、翌年には王政を廃止、共和制に。
当時の国王、ファルークはイタリアへ亡命。
上の写真、右下のひとが、彼女の年子の兄ファルークです。
エジプト革命時、ファウズィーヤは31歳、
どんな想いだったのでしょうか。
その後、ムハンマド・アリー朝を廃止したナセルやサダトがエジプトを担っていきました。
そして、30年に渡る長期政権を維持したムバラク大統領にサダトの政策は受け継がれます。
そんなムバラクも2011年の革命で失脚。
その2年後の6月30日、軍の声明が発表されました。
彼女が病気だったのか、老衰だったのかはわかりませんが、エジプトの情勢をずっと気にかけていたのではないかと思うのはわたしだけでしょうか。
27歳で9年間の結婚生活を終え、イランからエジプトに戻った彼女。
翌年、エジプト人の軍人と結婚。
31歳で兄が追放され、王政が廃止。
家族が自分より先に亡くなっていきます。
それでも、アレキサンドリアで穏やかな生活を送られていたことを願わずにいられません。
<2番目のご主人 イスマイール・シャリンと>
ファウズィーヤのご冥福をお祈りします。