第10問:安部なつみさん謝罪-著作権保護は何のためにあるのか | モリタのトリビア的疑問100の考察

第10問:安部なつみさん謝罪-著作権保護は何のためにあるのか

 今回は番外編として「どうでもいいこと」ではない、シリアスなこの疑問について考察します。
 尚、わたしは法律の専門家ではありませんので、著作権法自体の領域には踏み込みません。著作権ってどうしてあるの?という素朴な疑問について、今回の安部なつみさんのケースを通して、著作権自体の存在の意味を考えたいと思います。

【体験-今回の事例-】
 安部なつみさん、及び所属事務所の謝罪文が昨年の11月30日付けで出されています。その一部を引用すると
安倍なつみ本人に認識が不足していたものの、残念ながら盗作に値すると判断致しました(事務所)
「素敵だな」と思った詩やフレーズをノートに書き留めておく(中略)結果、人の詩やフレーズに勝手に手を加えた形で発表してしまいました(本人)

 安部なつみさんは言うまでもなく、モーニング娘。の中心的存在として同グループの人気の火付け役であり、昨年の「卒業」後も衰えることのない人気で独り立ちし、もう「元モーニング娘。の」という肩書が不要となる寸前での今回の出来事で、活動自粛という事態になったわけです。
 芸能界のことなので、果たしてその詩なりエッセイを本当に本人が書いたのかという疑問を挟む芸能記者などもいるようです。しかしいづれにしろ、ソロとしてこれから頂点を目指そうという時期に「知っててやった」というような後ろめたい意図は、本人にも周囲にもなかったことは容易に想像できます。

 この件に関するWebサイトを見ると、確かに安部さんの文章と著作権を持つ元の文章とがあまりに酷似していることに少々驚かされます。むしろ著作権者に指摘され訴訟などという事態になる前に露見し、素早く対処したことは幸運だったと言うこともできそうです。

 安部さん側には酷な言い方になるかもしれませんが、今回は著作権者側に実質的な損害、精神的な苦痛などが発生せずに終結を迎えようとしているおり、著作権という概念を社会的に再度認識させる良いきっかけになったのではないかと思います。

【検証-著作権て何?】
 では著作権とはどういうもので、何のためにあるのでしょうか。権利という固い言葉からすると、他の者には譲らない著作権者本人のみが著作物の表現や加工を行える権利のように聞こえます。

 しかし本当の意味はそのまるで逆。つまりオリジナルの創作者としての位置付けを確保した上で、その著作物が様々な形で他の方が引用したりヒントを得たり加工したりすることを振興し、結果的に芸術や文化という世界が盛んになることを目指しているものです。(但し、加工したりする場合は著作権者の承諾が要ることは言うまでもないことですが)

 著作権は英語では、"COPY RIGHT"と呼ばれています。つまり「複製権」ということであり、引用や加工などが行われることを前提とした概念です。事前の承諾もなく著作権者の意にそぐわないケースなどでは訴訟になることもありますが、基本的には優れた著作物を何らかの形で他の人が利用することを推進するために生まれた概念です。

 引用でさえ許さないという権利も著作権者には与えられていますが、実際には引用されることは自分及び自分の創作物の存在を広く伝えることにもなり、普通に考えれば著作権者にも得になることです。

 また音楽の世界でもサンプリングという手法で有名な楽曲を取り込み加工し、さらに新たな楽曲を作るということが普通に行われています。そういう手法も創作の一部であるという考え方が音楽界では大勢になりつつあるということです。

 このように創作物というものは、著作権という概念が社会的に認識された上で、引用されたり加工されたりすることで更にその価値が増すものであると言うことができます。

【結論-今回の件がもたらしたもの】
 安部さんの周囲には、彼女の人気を元にして詩やエッセイの企画をした出版社などが介在しているはずです。著作権については常日頃敏感であるべきその方達が犯したミスであるということに最大の問題があります。
 どこからが著作権の発生する創作物であるのかという境界線の判断は難しいものではありますが、少なくともそのことへのチェック機能が働くよう関係者が自らを律するべき問題であると思います。その意味で本人のみの謝罪復帰会見は、わたしには少々首をかしげたくなる状態です。

【追記】
 今朝のニュースで安部なつみさんの謝罪及び復帰に向けた記者会見を見ました。心中は察して余りあるものがありますが、これを機にゼロから始めるつもりで仕事に望まれることを願いたいと思います。
 ..って今回はいつもにも増して固い内容になりました。あぁ疲れた。