第8問:「あれっこんなこと前にもあったな?」という現象は何故起こるのか? | モリタのトリビア的疑問100の考察

第8問:「あれっこんなこと前にもあったな?」という現象は何故起こるのか?

「デジャビュ(de'ja' vu)」( ' はそれぞれ前の"e,a"上に付くアクセント記号)現象、フランス語です。
フランス語からの直訳では「既に考えていること」になるようです。日本語では「既視感」と訳されてます。「既に見たことある感じ」そのまんまの訳です。ちと芸が足りないですね。
 どの方も最低1度や2度体験していることでしょう。今回はこの不思議な現象について考察します。

【体験】
 この現象を差す言葉の存在を知る前から、たぶん子供の頃からこの現象を体験していたように思います。それがどういう体験だったか、どういう気分だったかはよく覚えていませんが、不思議な感覚に陥ったことだけは記憶の片隅にまだ残っています。
 トイレの花子さんや口割け女のようにブームになったわけではないですが、友達の何人かも同じような体験をしていたと言ってました。今なら「あるある!」って部類ですか。

 割と頻繁にこの現象を体験するようになったのは、社会人になってからだったように思います。わたしにとっては社会人になることイコール実家を離れ一人暮らしになり、何でも自分の思う通りに出来ること。その一方苦しいことや面倒なことも全て自分でやらなかればいけないようになったということでした。実家は金持ちではなかったですが、世間知らずのお坊ちゃんのようなものだったのでしょう。
 社会人になってから初めて味わった世間の仕組み、厳しさがたくさんあります。また会社においては様々な上司、同僚がおり、学生時代のようにいつも仲良しグループで行動するなんてことはできません。必然的に周囲と協調することを求められます。また行動範囲も拡がり、初めて訪れる場所、初めて味わう状況も多々ありました。

 そんなある日、駅前の歩道橋を渡ろうと階段を登りかけたところで人に道を聞かれました。○○デパートはどこですかと。わたしはそれに答えながら「あれっ、前にこんな状況あったな?」と感じていました。再び階段を登りつつ、上から降りてきたOL風の女性の顔が知り合いのように思えました。
 またある時は、そば屋でお昼をとっていると店内が混んできたため合い席を店員から頼まれました。軽くいいですよと答えつつ「あれっ」と思い、対面に腰掛けた中年サラリーマンに見覚えがあるように感じました。

 共にほんの数秒の間で、またごく日常的な出来事の中で起きている現象でした。わたしは、その正体の見えないモヤモヤした気持ちを自分の中で消化しきれずに、しばしぼおっとするしかない有り様でした。

【検証】
 わたしの体験を元にすると、次の3つの条件が揃った状況で起こる現象であることと考えられます。
1、一人暮らしになり、必然的に外部、他人との接触が
  増えている状況であること
2、ほぼ毎日のように繰り返される出来事の中で、ほんの
  ちょっとした変化があった状況であること
3、人との絡み合いの中で生まれる状況であること

これらの状況を考え合わせると次のような考察が成り立ちます。

 人はたった一人では何も出来ません。子供の頃は親、家族がしてくれていた様々な用事(買物、家事、金銭の管理など)も自分でするようになり、その過程で大人としての常識、マナーなどを学んでいきます。また他人の気持ちを思い遣ったり、場の雰囲気を感じ取ったりしながら適切な行動を取るようになります。つまり状況の経験値が上がり、自分の中で無意識の内に状況パターンの蓄積が行われているということです。全く初めて体験する状況というものが徐々に減り、新たな状況も自分の中のパターンのどれかに当てはめて考え感じ反応するようになります。

 次にどういう形で状況パターンが収められているかを考えます。心理学的には諸説あるようですが、今回の「デジャビュ」現象については音声や文字とかではなく、映像的イメージでの記憶パターンが残されているのだと考えるのが適切なようです。
 映像的イメージとは言っても、写真のような鮮明な画質ではなく、絵画的な多少曖昧な質であると思われます。その曖昧さが却って人の適応能力の高さを裏付けていると言えるでしょう。そしてある新たな状況に出会った時に、蓄積されているパターンの中から近いものを呼び出し適切に対応をしているのだと思われます。この状況への蓄積パターン当てはめ対応が「デジャビュ」に強く関係しています。

 最後に通常は「当てはめ対応」を日々行いながら、ふとした瞬間に「デジャビュ」に移行するかは、現在の状況と呼び出された蓄積パターンとが酷似している場合であると考えられます。

【結論】
 日々繰り返されているこの「当てはめ対応」が、どうして時折「デジャビュ」として出現するのか、そのケースを本考察では下記のように結論付けたいと思います。

 それは、新たな場面ではあるのだが、過去に蓄積されたパターンといくつかの条件が酷似している状況に出会った時、-例えばわたしの体験で言うと、「歩道橋」「人に道を聞かれる」「OL風の女性とすれ違う」という条件が揃った時である-、絵画風であった記憶のパターンが一瞬写真やビデオ画質で再生されることであると考えます。そのあまりの鮮明な一致感が、一種の感動(エモーション)となり、脳内に特殊な神経作用をもたらすのではないかと考えることができます。

【追記】
 男女の関係の場合でも、運命的な出会い、一目惚れと言われることがありますよね。これもこの「デジャビュ」と似ています。どんな人を好きになるのかは、多くの異性と接し色々な状況を体験する中で、自分の感覚にフィットする異性のタイプ(顔形、性格など)を、無意識の内に脳内に形成しているのだと思います。そのイメージと酷似している異性との出会いが、運命的であったり一目惚れであったりするのではないでしょうか。