入試の最中に一瞬心配になったこの3つの王朝の区別
今のうちに整理しておく。
という今回は本当に備忘録。
ブログを新しく書くときに毎回見直すようにすれば流石に覚えられるでしょ
ということで、題名も全く風情のかけらもない、王朝名そのままで。
<引用および参考=”世界史の窓”>
ガズナ朝・ゴール朝・カラハン朝
①ガズナ朝
トルコ系イスラーム王朝
962年(オットー1世即位と同じ年)、アフガニスタンのガズナを都として成立
たびたび北インドに遠征したが、恒常的にインドを支配することは無かった。
セルジューク朝やゴール朝に圧迫されるようになり、12世紀末にゴール朝に滅ぼされた。
②ゴール朝
アフガニスタン、ガズナ朝内の一部の勢力が独立
その王ムハンマドはパンジャーブを平定した後、インドでイスラームを布教。
1192年、ムハンマドはラージプート諸侯軍を破り、北インドを平定。
ベンガル地方のパーラ朝を滅ぼし、ナーランダー僧院を破壊。
これでインドにおける仏教の繁栄が終わる。
その地の統治を部下のアイバクに任せた後、自らは暗殺され、ゴール朝は分裂状態に。
北インドにはアイバクが奴隷王朝を建てて自立。
アフガニスタン、イラン方面に残ったゴール朝は1215年にホラズムによって滅ぼされた。
③カラハン朝
中央アジアに起こった最初のトルコ系イスラーム王朝(840~1212年)。
アルタイ山脈の南西にいて突厥に服属していたトルコ系が、ウイグルとともに突厥を滅ぼし、9世紀にキルギスに追われたウイグルが東トルキスタンに入るとそれに押される形で、西トルキスタンに入ったのが始まりと考えられている。
840年に成立。
10世紀中ごろにイスラーム教を受容。
サーマーン朝を滅ぼし東西トルキスタンにまたがる国家となった。
しかし部族連合国家であったため統一は弱かった。
都は天山山脈中のベラサグン(現在のキルギスに遺跡がある)である。
フェルガナ地方のウズケント、東トルキスタンのカシュガルも根拠地とした。
11世紀以降、東西に分裂し、ガズナ朝、次いでセルジューク朝に押されて衰退。
12世紀中頃、モンゴル高原東部から金に圧迫されて移動してきた西遼に併合された。
