最近、さまざまな界隈で

『抽象度』

という言葉が当たり前のように使われている。



でも、この『抽象度』という言葉を

ふわっとしたイメージで使っているように思います。


そこで、今回は『抽象度』を私なりに解説していきます♪





〈抽象度とは〉

分析哲学にある存在論(Ontologyオントロジー)という分野の

"Levels of Abstraction (レベルス オブ アブストラクション)“を学術的に定義した言葉。

この学術用語を直訳の"抽象の度合い"

から苫米地英人さんが造った造語。





つまり『抽象』を理解していないと使えない言葉です。



日常会話で『抽象』だけで使うことがないので

一旦『抽象度』は置いておいて、抽象について

確認してみましょう。



〈抽象とは〉

物事または表象からある要素・側面・性質を抜き出して把握すること。


ん⁈⁈って思いませんか?

よくわからないですよね。

では、もっと身近に使う『抽象的』を確認してみましょう。


〈抽象的〉

①共通点を抜き出して一般化して考えること。


②頭の中だけで考えていて具体性がないこと。(具体的でなくはっきりしない。ふわっとしている。)



全然違う

2つの意味があります。

一般的には②の意味での使い方が主流でしょう。



〈抽象画〉

具体的な対象を描写しない、写実的な再現ではなく、感性で自由に捉え色や線、形などで表現した絵画。



これは『抽象的②』を絵で表現したもの。



[抽象画 例]


↑値段見て〜‼︎ART大好きだけどこの値段は…理解できない💧




つまり、一般的な「抽象」の意味を

「抽象的②」に近いイメージで捉えている。



本来の『抽象』は『抽象的①』の方の意味を指し

つまり分かりやすく言えば

分類するための要素(情報)だと一旦理解して下さい。


だから

・ふわっとした

・曖昧な

・イメージとして

・個人的な感性

・感覚的な


ではないのです。



さて、これを理解した上で

本題の『抽象度』について解説します。



[高い:情報量が少ない]

[低い:情報量が多い]




飼っている動物は違うけど、犬も猫もウサギも

「ペット」に包摂(含まれる・まとめる)ことができる。



包摂する上位概念を

『抽象度を上げる』という。


抽象度を上げると違う種類のものを包摂することによって、広い範囲で共通する部分があるので話題が広がる。




逆に抽象度を下げてみよう。


例:アザワク


犬に詳しい人には容姿まで思い浮かぶ。

でも、チワワくらいなら知っ人にとってはもはや犬だとすら理解ができない。





別の例だと車。

街中を見て

車とバイクとトラック

のような分類ならば誰でも理解できる、共有できる概念。


グッと抽象度を下げると

メルセデス・マイバッハSクラス ダイヤモンドホワイトS680仕様。

車に詳しい人とかならたくさんの車の中から見分けられる。

わからない人にとっては「車」であり、せいぜいエンブレムを見て「ベンツ」なのです。






もっと高度で広範囲の苫米地さんの解説



LUB(リースト・アッパー・バウンド)=最小上界

2つ以上の概念の1つ上の共通の上位概念で会話・ビジネスをするとよい。

異業種の社長同士なら「経営者」という上位概念で会話をすると作業や商品や客層が違っても共通点で共感できる。



抽象度を上げれば上げるほど多くの概念を包摂するから

その上位概念によって大きな枠で物事を捉えることができる。



そういう意味での

・高い視点

・高い視座

・俯瞰

・メタ認知



しかし、抽象度を上げ過ぎると情報が少なすぎて何もかも含まれ過ぎて

臨場感がなくなり具体性に欠ける。

違いがなくなる、固有の特徴がなくなり判別できなくなる。




具体的の対義語は抽象的です。

そう、ここでやっと

「抽象的」


要素・情報量が少なく、あれこれみんな上位概念で包摂してしまう。

結果として〈抽象的②〉の意味が出てくる



抽象度を上げるとは

1つ上の上位概念で包摂する




だから、ふわスピの使う

「高次元の〜」的な『抽象度を上げる』は

違うよ♪

そんな人を見つけたら

犬のウンコ💩とふわスピ覚者を

『有機物』という上位概念で包摂しちゃいましょ。


または「それはどんな上位概念で包摂しているんですか?」って質問してみましょう♪




理解を深めて使うと(聞く場合も)

「ここまではこの括り(くくり)でので話し、

もう一つ上の括りになると他の概念も考慮に入る」

という場面展開が見えて

細かい違いがかすんで、

もっと大きな枠組みで全体的を把握できる。


抽象度は高い低いをどちらも使えなきゃいけない。



どの解析度で物事を捉えるか。


世の中、フラクタル。

私の好きな幾何学。



『群盲象を評す』

みんな主張しているところが違う。

部分なのか、全体なのか。


さらに私は考える

その象はどこにいるのか。

群れの中にいる1頭なら。

広大なサバンナの移動中なら

地球の全体から見たら

太陽系全体から見たら

天の川銀河から見たら

宇宙全体から見たら…


さて、どのくらいの枠組み、概念で

捉えていますか?



抽象度を高く

「私の一生」「私の人生」という枠組みで捉えると


○○大学卒業、○○社で勤務、

何歳で結婚、子供何人出産、

起業して年商○億‥

みたいな大きなイベント、大きな点が

経歴・成果として外側からは評価されるけど、


40代の10年、

50代の10年、

今年一年、

今月、

今週、

今日一日、

この1時間、

さらにさらに細分化、

具体的な行動をいちいち可視化したのが

やったことリスト


一生から見たら

大イベントの点と点の間の

何もない空白の期間になってしまうところを

一日みっちり、

しかも全部やったことだらけの毎日。

その抽象度の低い

高精細の観測視点を持ってから広げる

自分の1ヶ月、1年、10年、一生。

みっちり詰まった人生になると思う。


自分が達成したい的🎯も

高精細で見る視力があるからこそ、

やってもやらなくても

自由で広い範囲でも

漠然とではなく

見落とさずに目指す方向へ

いちいち当てていくことで

超納得の行きたい(生きたい)方向に進む

ってことじゃないかな。


さやちゃんはそういう視力があるから

見えている物の中に

他人には見えないものをみて、

行動するから

偉業を成すんだろう。


抽象度を上手く使って

自分の行きたい方向へ

的当て🎯しながら

生きていきたい。