2023年も最後の月に入り、振り返るとこのページは一つしか記事を書いていなかった。
来年、2024年はSNSを停止する予定。
このブログは細々続けるかな。
とは言え、ここは新たな見解を示したり発信したりを最初から考えては来なかった。
このページの目的は既にこれまで発信してきたメッセージを未来に向けて纏めておく、残しておく、だった。
一つの文化の存在を。その価値と可能性を。
だから、いつ終わりにしても良いと言うくらい、必要な部分はここで纏めておいたと思う。
この上、このテーマではそれ程付け足すことはない。
一つの文化が尊重されると言う以前に、まず一つの文化の解析が始まらなければならない。
その傾向はまだまだ萌芽すらない。
そう見ている。残念ながら。
最初に言うと先をどう見るかが今日のテーマなので、現状の認識はシビアに。
一つの文化を発信して来た者の一人として、
これからどうなって行くべきかと、その実現性や今どの段階にあるのか考察しよう。
このページではあくまでダウン症文化そのものをテーマにして来たが、今回はプロデュースを含む場を創る者、発信する者の視点で書く。
まず、よく言われることで佐久間の予言は当たる、っていうのが。いや、確かにそこらの占い師より当てて来てはいるのだけど。でも、このことはちゃんと説明しておいた方が良い。
こうなる、必ずこうなる、と言うことを言ったことは一度もないし、そう言うことは本来無い。
僕が言っているのは流れと言うもののことで、それは長年、場を見てきたり、人間の心を見てきたりして、流れを見極めること、流れを読むことがとても重要な要素だから、そこの感覚は鍛えられている。
なので、そのことを強調したいが、僕が言っているのは流れはこっちだ、今の流れはここへ向かっている、と言うことだ。
これを予想や予言とは違うのは、流れと言うものは確かにそこに向かっていても、流れに従わないと言うことも限界はあるにせよ、人間には可能だから、流れに反した方向へ結局行くこともよくあること。
確率で言えば7割は流れに向かうけど残り3割は流れとは違う方向へ行く。
更に言えばもっと確率は低いのに流れは確かにこっちと言うことだって少ないけれどあることではある。
流れには大体は従う方が良い。
けれど流れに歯向かわなければならない時もあるし、良くない流れの時に最小限にくい止める必要も出てくる。
さっきも言った様にそう言う場面で流れに対抗出来るのは3割程度。逆に少ないけど流れの方が弱いなんて時もある。これは不思議なんだけど、水が下へ向かって流れないと言う物理的には考えられないこともある。
さて、ここではこれまでの流れも10年単位で見て行きたい。この先の10年どうあるべきなのか、その中で流れ自体は何処へ向かっているのか。僕らは何処を見て行くべきか。
ダウン症のある人達を対象に仕事してきて20数年。
その以前、原点であり出発点であった実践では様々な障害を持つ人達と心を一つにしたワークがあり、その出会いから30年が過ぎた。この30 年は一貫した一つのテーマとして貫かれた。人間の心と可能性を、生命とは何かを巡るとても深い実践。
最初の10年は寡黙にひたすら盛り下げた。
次の10年は実践を継続しつつ普遍化と定義付けへ向かい、一つのジャンルとして確立させようとしてきた。
そしてこの10年で社会へ向けた発信、融合を目指して来た。僕の仕事としてはそんな流れだ。
社会の流れも始めた当初からは大きく変わった。
それをどう見て行くか。
変化に良かった部分と駄目になってしまった部分があるけど、全体的に見たら前進している。
流れとしては悪くない。
もちろん、この社会はいつも課題だらけだけど。
枝葉の部分はおくとして、大事なポイントだけ書く。
一人の人間に出来ることは少ない。
だからどんな時も全体を見てその中での自分の役割を全うすること。
僕の場合は早くから自分が特化した領域を絞って来た。
それは誰もやっていないから、誰かがやらなければならないと感じたことも大きい。
僕は内容、中身を徹底的にやってきた。
誰よりも深く誰よりも先に、誰も到達出来ない地点まで、始めからそうしようと思った訳では無かったけれど、道は歩み始めたら最後まで行く他なかった。
言うまでもなく、自慢ではない。寧ろ逆にそこを追求するために無数の出来なかったことがあり、そこをやる人が出て来て欲しいと心底願っている。
出来ることなら橋渡しが出来れば尚更幸運だと。
ただ行くしかなかった。何処まで行けるか証明する必要があったから。僕が行かなければそんな世界は無かったことになってしまうから。
たどり着いた景色を知っているし、経験も技術も奥深い世界像もここに持っている。でも手渡す人が居ない。
必要とする人に渡して死ねたら最高だけど、それは今のところ難しい。
ただそれとは別に特にこの10年で確かな社会的な影響面では残せたものが感じられる。
それは人でもあるし、仕事でもあるし、言葉でもある。
昔は潔癖で完璧主義だったので、自分のやったことや言ったことが盗用されることが嫌だった。
ニュアンスが変わりヘンテコな偽物になったものを見ていられなかった。
でもある時期からどんどん使って貰って良いと思うようになった。今は転用自由と思って発信している。
何故なら言葉は悪いが僕のパクリで形になったのもや世を動かす流れが沢山あり、その広がりはこれからの世界にプラスになり得るからだ。まだなってないよ。ここからだよ、とは思うけれど。
自分がやっていなかったらこれもこれも無かったなと思うものが沢山ある。
で、これから何が必要か。どんな流れにあるのか。
思い切って言いますよ。シンプルなことですけど。
僕には出来なかったこと、出来ないことなのでお願いしている訳です。
これまで言って来たことと逆に聞こえるかも知れないけど、実は違う。そう言う流れがあって今の流れがあるということです。
表面的なことで良いです。
でもこれまでの様々な流れがあって、それらを全部吸収して更に突き抜けてその先へ行く、と言う次の時代のヴィジョンとして、今の必要な活動も必然の流れも、ズバリ言うなら広がり、数も含みます。
5人に話したら一人は知っているくらいのところに行かなければならない。
まだそれを出来る人も団体も存在していません。
いや、それが一人の人間や一つの団体が担える筈もなく、こう言う認識を共有することが出発点となるはず。
まだまだ特定の業界内での流行り廃り止まりのものしか社会にはありません。
もっともっと普及させる。だからこう言う言葉ももっとパクって貰って、みんな色んなところで言い出して貰って。どんどん認識が広がらないと。
ダウン症文化に絞った活動は殆どないけど、それだけじゃなくて障害関連、福祉関連に関しても、やっぱり何処かで見かけた、もう誰かがやって来たものを繰り返すだけの流れの中にあって、新たなインスピレーションも乏しく、そして有能な人材が不足している。
何故か。簡単です。
分母が足りてないから。1000人居たらその中に何人かはかなり進められる人が出てくる。その為には圧倒的に関わる人口が必要だから。あえて言うまでもないけど有能な人や才能ある人だけが必要なわけではない。
そう言う人達は1000人居て一人か二人で良くて、やはりそれ以外の人達も沢山居てそれぞれ役割を担う必要がある。数字、拡散力とか影響力とか、もちろんこれは入口に過ぎない訳だけども、でも行くべき場所への入口なので入口がなけらば入れないから。
大きく人も経済も動く領域になって行かなければならない。こう言うジャンル5人に一人の認知度になるのはとても10年では厳しい。でもホップステップジャンプで、これの次はこれ、これが来たから次はこれと言う必然的な流れで言えば線上にはあるんだよね。
だから少なくともまずそう言う認識を共有したり、流れを自覚したりすることから初めて貰いたい。
普及するには圧倒的な影響力ある人も、経済動かす力や政治動かす力も、全てが必要になってくるけど、そう言うものの全ては人の心の変化から始まっていることを見逃してはいけない。
だからこそ不可能ではない。
みんなが興味を持つ。もっと強く言えば持たせる。
そんな展開がこれから起きなければならない。
多くの人がそこに意識を向ければ、自ずとそのジャンルは変わる。
僕には今必要な影響力はない。
だからメッセージを発信することしか出来ないが、誰かの目に留まりここからインスピレーションを感じて貰える可能性もゼロではないと思っている。
そして、この大きな流れの中から、僕のこの先10年への動きを何処に絞って行くのか、或いはもっと違うテーマを追うことになるのか、少なくともここから先はもっと若い人達が担う。
この30年で得たことを分かち合う場は細やかながら機会を創ろうと思う。
理想として自分が去ってからそこが駄目になって行くのではなく、自分が去ってから面白くなって行く、そんな形を目指して来た。もう少しやることはあるけど、理想からそう遠くないところに居ると感じている。
個人の人生としても色々あったこの数年、ここからプライベートにしてもやれなかったことをやっぱり、取り戻すことは出来ないけれど、今の時間だから出来ることをと思う。生まれ育った街、金沢にもどんな形にせよ関わって行きたい。幼い頃、あまり一緒に過ごせなかった、良い思い出も少い僕の家族にも、これからもっと繋がろうと思う。
