皆さん、お元気でしょうか。
すっかり春。志摩ではもう葉桜なんてところも。

少し前になりますが、インスタライブを行いました。
久しぶりに話しました。

ふとこんな話題になりました。
人は自分のことばかり考えると疲れる、と。
自分に目が向いているとき、自分しか見えていないとき、人は苦しくなります。
でも、その視野が他者へ向かうとき、誰かを思い、誰かのために動こうとするとき、違うものが見えてきます。

大きな政治の話、国や戦争の話、そればかりでなく、小さな世界でも、個人の中で起きていることでも、人が人の痛みを感じ取れない世界があります。
ここに1番危機感を持たなければならない。

人を感じる、感じていられる世界に生きなければならないと思います。

こんな話をするとき、やっぱりいつも思い浮かべるのがダウン症の人達のことです。
彼らの在り方、彼らの優しさ、と言うものをずっと見てきました。

世の中では彼らを弱者として見ますけれど、
実は逆なんじゃないかと思うんです。

戦争まで行かなくても、僕らの生きてる世界って、いつでも誰が先へ行くか、ってところで勝負しています。
みんな負けたくないんです。
我先にと言う世界ですね。
みんな競って先へ先へと急ぐ世界で、彼らはどうぞお先に、と言える人達で、それは寧ろ僕らより成熟していると思うんです。

未熟だから譲れないんですね。僕達の世界って。
少ししかない椅子にみんなが座ろうとする。
取り合い、奪い合い、そんな中で、やっぱり、どうぞが言える心、それが世界を変えられる力だと思います。

やった人が威張ってるんです。
どうだやったぞ、って。
それで出来ない人達を馬鹿にして、下に見ますね。
これが逆なんだ、って見方はどうでしょうか。
やらせて貰ってるんじゃないですか、と。
どうぞと譲って貰ってるんじゃないですか、と。
出来ない人なんてみんなが思っている人達は、
逆にみんながやりたがる世界て、どうぞと席を譲れる心を持つ成熟した人達なんです、って。

これからの世界に必要なのは寧ろこっちですね。

どうぞと譲れる心が世界を変えて行く。
ダウン症文化論には未来の鍵が沢山あります。

争ってしか生きられない、まだまだ未熟なこの世界で、これから何が必要なのか、違う世界、違う価値、違う見方に心を開こう。