受験期を通じて、成績に常に影を投げかけるのは子どもの性格だ。
よく 「中学受験向きの性格」なんてことが言われるけど、
そんなことが一概に判定できるほど単純なことではないと感じた。
弟彦はわりとまじめな性格で、塾の先生方からは「落ち着いている」
と言われていた。話し言葉や記述文などは幼稚な面が目立ったが、
面談の際には「決して幼い印象は受けませんよ」 とも言われた。
クールな現実主義者で、夢みたいなことを考えたりはしなかった。
だから望んだもの(合格)を手にするためには、しっかりと努力していた。
でも、それは貧困な想像力の裏返しだったんじゃないだろうか。
自分の経験世界の外への共感力が育たなかった原因とも感じる。
結果として物語文への感情移入は苦手で読書習慣も育たなかった。
集中力はあったと思う。
始めてしまえば3時間、4時間は勉強を続けていた。
「考え込みだすと時間のことを忘れてしまう」欠点と表裏一体だったけど。
6年の秋、理社の宿題に時間をかけすぎて、
もう理社に費やす時間は最小限に抑えたい私をイライラさせた。
「考える問題が多くなってるから考えないといけないんだ」と言っていた。
ご主張はごもっとも。
だが実際の試験で考える時間が気前良く与えられる訳ではない。
時間感覚は鈍かった。試験中の時間の使い方も下手だったし、
週例テストまでの1週間の使い方、入試までの減っていく時間、
全てにおいて、何かバランス感覚に欠けている子だった。
中学に入っても定期考査の試験準備の下手さなど相変わらずだった。
じっくりと考えることを嫌がらなかった。
男の子にしては作業も丁寧だった。
だが、スピードの向上を目的とした課題や圧力をかけられることには
頑強に抵抗して、自分の殻を打ち破ることができなかった。
融通がきかない不器用な性格だった。
受験というものをしっかりと 「自分のためのもの」 と理解できていた。
絶対に 「解答を覗き見する・写す」なんてことはしなかった。
「そんなの意味ないじゃん」と不思議がっていた。
その分 「考えてもわからない問題については解答を見て習得する」
という勉強法はどうしてもイヤなようだった。
一つの問題を、延々と考え続けて時間を消費した。
模範解答に納得した後も、自分の失敗に終わった解法に拘り続けた。
「なぜダメだったのか突き止めないとまた同じ失敗をするから」だそうだ。
とてもいい意識だと思ったが、入試までの時間的制約を考えれば
「このやり方はダメだ」と確認したら先へ進むことも大切だろうに。
こんな性格に足を引っ張られたり助けられたりしながらの3年間だった。
性格が違うと、同じ状況でも最善の選択肢は異なるものとなると思う。