国語が苦手だった受験生の親の愚痴のような呟き | 「できる子」の構造

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子どもの中学受験が終わった。はじめは楽勝だと思っていた。でも楽な受験なんてないんだなと思い知らされた。まぁ結果的には第一志望合格だったのだけれど...。そんな回想記。

自分の子の中学受験での国語について振り返ると、

あれこれ色々な思いが次から次へと湧いて出てきて

収集がつかなくなる。

「冷静な総括」をして、さっさと気持ちを先へと切り替えたいのだが

なかなか難しい。

  

中学受験男子で「国語が苦手」 という子は本当に多い。

弟彦の同級生たちの自己紹介の冊子でも

「算数が得意・好き」という記述と

「国語が苦手」という記述の多さが目につく。

ブログで知り合った方たちの間でも、

お子さんが国語で苦戦されてる方は多い。

言語能力の男女差って、大学生くらいになっても

面接だの口頭試問だので確実に存在すると思うから

別に中学受験に特異的な問題でもないのだろうと思うけど、

でも、やはりこの年代は男女差が特に開いてる時期ではないだろうか。

  

そうは言っても弟彦の国語というのは、

「男の子はまあ国語が苦手なのは仕方ない」で済ますことは

できないレベルだった。

なんであんなに苦手になってしまったんだろうか。
  

できない構造1 読書嫌い

やはり原因のひとつは読書しないことがあると思う。

読書好きでも、国語の点は取れないという子も多いようだけど、

弟彦の語彙の少なさや教養の薄さ、抽象的な概念の理解の浅さなどは

どれも読書量の少なさから来ていると思える。 

一家の中で弟彦だけが本を読まない人間だった。

現実的な性格で想像力はあまり豊かでない、

単純で外遊びやスポーツが大好きな小学生だった。

家族はいつも行儀が悪いくらい本ばかり読んでいたし、

図書館に連れて行って好きな本を選ばせたりもした。

「こうすれば本好きな子になる」なんてアドバイスの内容は

普通に実践できていたと思う。 でも、本人が乗ってこなかった。

  

長じてどういうジャンルの本を読むようになるかは別として

やはり子どもの頃最初に読書が楽しくなるのは

「物語」 によってではないだろうか?

でも、弟彦は「物語世界」には全然入り込めない性格だったようだ。

  

姉子が好きだったハリー・ポッターも

「魔法? 何ソレ? バカジャネエノ?」って調子で

ほんのちょっとで読むのをやめてしまった。

5年の夏に、「これならば読むだろう」 と与えた『バッテリー』にしても

しばらく読んだところで何と 「ねえ、これ実話?」との質問。

答に困りながらも 「小説だよ、物語!」と答えると 「じゃあ作り話?」 と。

「まあねえ、物語だから…」という答に唇をへの字に曲げながら

(なんだ 作り話なのか・・ ガッカリ) といった表情を浮かべていた。


こういう性格では読書好きに育たなかったのも仕方ないと思っている...