「シマロン」は1931年のアメリカ映画。原作エドナ・ファーバー(「ジャイアンツ」=ジェームス・ディーン主演も)、監督ウエズリー・ラッグルズ、出演リチャード・ディックス、アイリーン・ダン。

アカデミー作品賞・脚色賞受賞。

 

これの前に観たオードリー・ヘプバーンとバート・ランカスターの「許されざる者」がどうも納得いかない内容だったので、当時としては異色の西部劇と言われた本作を観てみたのでした。

いやあ、主張してることは30年後(1960年)のヘプバーンの「許されざる者」より今の時代に合っていると思います。

 

ヤンシー・クラバット(リチャード・ディックス)とセイブラ(アイリーン・ダン)の夫婦は、ヤンシーが風来坊的な性格ではあるが芯の強い正義漢で、裕福な妻の実家に頼ることが多いが前の経営者(不審死を遂げた)から引き継いだ新聞を発行している。

オクラホマで土地(先住民の居住地だったかも)が解放(早い者勝ちの陣取りレース)されるという話を聞き、何日もかけて移動しそれに参加する。

激しい競争を経てたどり着いた場所で、所有権を主張するために土地に旗を立てようとするが、ずるがしこい女(ディキシー・リー=エステル・テイラー)に騙されて、何も手にせずに家族のもとへ帰る。そして彼は反対するセイブラの親や周囲の人々を押し切り、妻と息子シムと一緒にオクラホマへ馬車で向かう。

 

その後は大河ドラマのように、ヤンシーの放浪(伝聞でしか表現されない)や、シムの成長(結婚)、ヤンシーがいない間のセイブラの成功などが描き出されていきます。

最後が一番悲しい場面ですが、そこでまた二人が出会ったことがこの映画(原作)の大時代的?面白さでもありました。

 

さて、ヤンシーの言っていることは至極まともです。皆の前で正義を貫きとおす態度は素晴らしいです。カタルシスを覚えます。

「許されざる者」のバート・ランカスターの先住民に対する考えや態度とは大違いです。当時はあのように「理想を叫ぶ者」としてのヤンシーを描くような手法でないと先住民(インディアン)や女性の権利の主張は、映画としては成功しなかったのかもしれません。ヒーローが先導する、というような・・・ 

今は市井の名もない人が声をあげて、というのが共感されるのかもしれませんけどね。

 

結末は悲しいのですが、それでも先住民の権利や人種間の軋轢、女性の社会進出などを積極的に描いたこの映画はいいと思います。