映画記事を書けるような(ある程度)平穏な日々に感謝です。

 

「トゥルーマンショー」は、ジム・キャリー主演、ピーター・ウィアー監督の1998年製作アメリカ映画です。

SF仕立てのブラックなコメディですが、ジム・キャリーの見せるシリアスな顔がいいですね。

 

映画の冒頭で「これは作りものだがトゥルーマンは本物だ。彼は本物の人生を送っている」と語る人物(エド・ハリス)がいます。おそらく何らかの意図をもって、本物ではない偽物を製作している側の人間なのでしょう。

ある女性が「トゥルーマンショーは自分には現実だ」と述べ、ある男性は「この番組に作り話は無い。操作されているだけだ」と語ります。

 

続く場面は、トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)が、ある朝出勤しようとしたら目前に照明器具のようなものが落ちてきます。晴れた空のどこからそんなものが?とトゥルーマンはいぶかるのですが、街はいつもの人通りです。

彼はある離島に住み、保険会社に勤めています。子どもの時の海難事故がトラウマとなり、以来一度も島を出たことがありません。島の生活が彼のすべてなのです。会社の仕事で別の島に出かけざるを得なくなるのですが、どうしてもフェリーに乗ることができません。記憶がよみがえるのです。

 

実はトゥルーマンは生まれた時からすべての生活を中継され、番組が設定し、天候さえも管理できる超巨大スタジオの中だけの環境で人生を送ってきたのです。それが「トゥルーマンショー」として全世界に放送されていたのです。父親との海難事故さえ、シナリオの一部だったのです。

家では妙に買ってきた新製品のアピールをする妻、友人(子供の頃からトゥルーマンと一緒に大きくなってきた)はこのビールがうまいと勧めてくる。そんなCMを挿入された生活の合間にも、トゥルーマンには子どもの時に経験した父との遭難がよみがえってきます。

そういう心のうちまでは映せない「放送」の合間に、彼の行動だけを観ている「視聴者」の反応が時々はさまれます。生中継されている超人気番組なのです。

 

ある朝彼は「父」に出会います。しかし、その「父」は突然現れた人たちに連れ去られるようにトゥルーマンの前から消えます。

トゥルーマンの疑念(何が起きているのか?)は膨らみ続けるのですが…

 

最終的に彼は爽快な「仕返し」を遂げます。、それで映画はハッピーエンドになるのですが、最後にいつも番組を観ていて再三出てくるガードマンの詰所の男たちが出てきます。彼らのセリフで考え込まされます。

私たちのいる世界、子どもたちが大きくなる世界、信じるものとは何なのか、どこからどこまでが自分の理解している(理解できる)世界なのか、私たちは何を見るべきなのか、いろいろ考えたら、コメディの味付けですが頭が疲れてきます。

 

最初に照明器具のようなものが落ちてくると書きましたが、それには手書きで「SIRIUS…」と書いてあるのです。星の表示用の照明だったのですね。

彼と結婚前に付き合っていた女性(女性も役者だが、気持ちはシナリオから乖離し始めていた)は、彼に真実を告げようとして強制的に役を降ろされるのですが、その後も「トゥルーマンショー」を観ています。そして、突然いなくなった彼女の面影を、トゥルーマンが雑誌からの写真でモンタージュしようとしている様子をみてほっとします。そういう彼の応援者の姿が、観ているこちらの気持ちに重なります。

 

でも、ダイナーや居間で「トゥルーマンショー」を熱心に観ている人たちと、この映画を観ている私との間にどんな違いがあるのかと考えさせられます。ワイドショー的な「大変だ」「こんなことが!」と大声で叫びまわり、耳目を集めて「視聴率」を稼ぐような「ショー」に踊らされてはいけないと思います。

見ないものは信じられない、とは思いません。しかし、何が真実なのかは自分で確かめなくては。