美しい攻撃サッカーは芸術だ!-sergi barjuan

現在のバルサの左ラテラルは守備のエリック・アビダルと

攻撃のマクスウェルで激しいレギュラー争いを繰り広げている。


このポジションに、バルサカンテラ出身であり、

クライフドリームチーム戦士の一員として、

1990年代から9シーズン死守した選手が、

セルジ・バルファンだ。


ズバ抜けた走力と、174cm68kgと決して大柄ではなかったが、

強靭な身体を活かした力強いプレーで攻守に活躍した

ヨーロッパ屈指の左ラテラルと称された

元スペイン代表重戦車だった。


1971年12月28日、バルセロナ近郊のレ・フランケスで生まれた

セルジは1987年、16歳でバルセロナのカンテラに属する。

当時から驚異的な足の速さを発揮し、

スカウトの目にとまったのだが、

当初はチームのサッカースタイルに合わず、

当時監督を務めていたヨハン・クライフに認められなかったが、

そのプレースタイルを貫き通し、

6年後の1993年トップ昇格を果たす。

チャンピオンズリーグのガラタサライ戦でトップデビューし、

11月28日ラージョ・バジェカーノ戦でリーガデビューし、

当時レギュラーだったファン・カルロスから

レギュラーの座を奪取した。

その後は抜群の存在感を示すプレーを常に披露した。

この活躍が当時スペイン代表監督を務めた

クレメンテ氏の目にとどまり、

トップデビューから約3カ月後の1994年2月9日

ポーランド戦にて代表デビューを果たした。

バルセロナではトップデビューから9シーズン

チームの左ラテラルとして君臨。

3回のリーガ制覇、1回のカップ・ウィナーズカップ、

2回のコパ・デル・レイ、

1回のヨーロッパ・スーパーカップ、

3回のスペイン・スーパーカップを獲得と

主要なタイトルはほとんど獲得した。

バルセロナ在籍最終時の2001-02シーズンには、

前シーズン限りでチームを離れた

ジョゼップ・グアルディオラの後を継ぎ、

カピタンを務めた。


代表でも1994年ワールドカップに出場、

大会屈指のプレーヤーとして高い評価を得る。

以後不動のレギュラーとして君臨し

1996年ヨーロッパ選手権でも

素晴らしいプレーで人々を魅了、

その後も、無敵艦隊と言われた

スペイン代表の中心選手の1人として

長期にわたって活躍するが、

大舞台ではベスト8以上の成績は残せていない。


2002-03シーズン、1997年就任当時から

ソリの合わなかったルイス・ファン・ハールが

指揮官として復帰すると戦力外通告を受け、

アトレティコ・マドリーに移籍する。

約15年間も過ごしたクラブを

不本意に去らなければならない悔しさから、

移籍発表会見では感情を迎えきれず

涙を流す場面も見られた。

その時に残した言葉は、

「俺はどこへ行こうがバルセロニスタ、

一度心に染まった色は決して変わることはない。」

アトレティコ移籍後は、

2004-05シーズンまで現役生活をすごした。


バルセロナ在籍時は

リーガ通算257試合出場し6得点挙げている。

スペイン代表では56試合出場で1得点を挙げている。


そして、今シーズンから下部組織である

フベニルBの指揮官として、クラブに復帰し、

多くの金の卵をトップに送り込もうと育成に力を入れる。