こんばんは!

珍しくこの時間まで仕事しています。

 

2021年3月11日 東日本大震災から10年が経ちました。

 

震災のとき、私は都内にある高層ビルで仕事中でした。

 

高層階だったからでしょうか。

ありえないほどの大きな横揺れを感じ、まわりの同僚たちもこれはちょっとやばい大きさじゃないかと騒然となり、それぞれがデスクの下に隠れました。揺れによって、キャスター付きの引き出しも右往左往していました。テレビで見る、大地震の時のテレビ局内みたいな光景でした。

 

なかなか机の下から起き上がることが出来ないでいると、向かいのデスクの下に隠れていた同僚が、スマホでテレビを見ながら震えて泣き出しました。

見せてもらうと、津波が押し寄せている情景でした。

こんなことが今起きているのかと、恐ろしく思いました。

 

ほどなくして揺れが落ち着くと、社内も騒然としていていました。

そこからちらほらと電車が止まっているなど、交通網が麻痺していることが分かってきました。

 

長女がまだ1歳半の時。次女はまだ生まれていない時です。

保育園にいる長女に早く会わなければ、と思って早退を申し出ようとしました。その時同じ年の子どもを育てているママ友同僚から一緒に帰ろうと誘われました。

電車は止まっているし、この雰囲気だと恐らくしばらく動く様子もないだろう、という話になり、とりあえずビルの下に停まっていたタクシーに乗り込みました。時間は15:30でした。

 

タクシーに乗り込み進んでいると、道路も我先に帰ろうと車が溢れかえり、とんでもない渋滞に巻き込まれました。一体何時間後に着くのだろうか、という状態でした。

 

その状況により、会社から近い友達の家で先に彼女を下ろして、次に私の家に向かうつもりでしたが、あまりの渋滞であきらめました。

彼女の提案は、私の自転車を貸してあげるから、自転車で帰った方がまだいいよ!ということでした。

確かに、と思い自転車を借りることにしました。

 

タクシーの窓からは、そのうちに道路に車だけでなく、公共交通機関が麻痺した関係で、帰宅難民の人たちが歩道を埋め尽くすほどぎゅうぎゅう詰めで歩いている状態が見えていました。

 

保育園に電話もつながらない。

主人にも繋がったり繋がらなかったりでしたが、とりあえず仕事で別の県に行っていて、車も動きそうにないから保育園には何時つくかは分からない状態だと。

 

こんな隙間のない人込みを帰れるだろうかと不安になりつつも、とにかく私が帰らなければ!自分自身を励ましていました。

 

 

しばらくして友達の家にタクシーが到着し、二人で降りました

。そのまますぐに自転車を借りて、大疾走が始まりました。

18㎞走らなければなりません。

出発した時点で18時頃でしたでしょうか。

 

大きな国道に入ると、人波でもう歩道は走れない状態。

渋滞でのろのろ進む車の隙間を進むしかない。

寒さで手足もかじかむ中、車に当たるか当たらないかギリギリのところを、ゆっくりと当たらないように集中しながらひたすら進みました。

 

既にスマホの充電が切れていたので、途中のコンビニに寄りました。商品はすでにガラガラになっていました。

とりあえずおじいちゃんおばあちゃん(姑と姑)の無事も知りたいので、公衆電話に並びました。

おばあちゃんは、保育園は娘(叔母)に自転車で行かせるよ、と言ってくれました。私もいつになるか分からないので、お願いをしました。

そこで保育園にも電話がやっとつながりました。

「お母さんが帰ってこれるまでずっと見てますから、ゆっくりかえってきてください」って。

もう感謝しかない。

 

それでも私の方が早く着く可能性もあるので、引き続き急いで自転車を走らせました。

 

保育園に着いたのは22時半。

叔母は先についていて、保育園のロビーで待ってくれていました。

「そういえば、迎えに来ても家のカギが無いから、ここで待ってたよ~笑」

 

たしかに笑

お迎え頼んでも、叔母はうちの家のカギをもっていなかったことにその時気づきました。

それに気づいてても保育園に来てくれる叔母に心から感謝。叔母のうちからも8㎞くらいはありまし。

 

そして、やっと娘の顔が見れる・・・

先生が「ぐっすり寝てますよ」と言ってくれて本当に安堵しました。

 

そこに寝ていたのは、うちの娘ともう一人のお子さん。

今このお子さんのパパとママも必死でここに向かってるんだろうな、と思いました。

 

 

保育園では夜迎えを待つ子供たちにおにぎりとお味噌汁を出してくださっていて、本当にありがたかったです。

 

それに先生たちだって、家に家族がいるだろうに、こんな日に他人の子どもを見てるなんて、と本当に頭が下がる思いでした。

 

 

先生と話したのは園舎のこと。

ちょうど新園舎を新築して、ちょうど3月頭にプレハブから引っ越したところだったんです。

こんな地震の時に、この前までいた仮園舎のプレハブじゃなくて良かったね、と。

不幸中の幸いでした。

 

 

 

10年も経つと、少しずつあの時の恐ろしさや焦りや心配を忘れてしまいそうになります。

だからここに残しておこうと思いました。

 

 

この地震では津波も含めたくさんの方が亡くなり、今でも行方不明者が2500名以上いらっしゃると見ました。

大切な人を亡くした方、まだ待っている方、その土地に住めなくなった方、その方々の気持ちを私が完全に理解なんて出来ないと思います。

ただただ、ご冥福をお祈りするとともに、早く見つかりますように、これからの人生に幸せがありますように、と微力ながら祈っています。

 

 

そしてこの経験を教訓に、自分の家族を守るために、防災意識を常に持つようにしたいと思います。

子どもや主人が亡くなるのも悲しいですが、もし私が亡くなったら子どもたちの心がどうなるか分からないですから、私も生きなきゃと思っています。

 

 

この記事、もし良かったら読んでみてください。

 

 

 

 

それではおやすみなさい。

 

 

(あ~最近塾のこと書いてないなぁw)

 

 

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