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サラリーマンおやじのさえずり小鳥っぷ(小旅行)

サラリーマンおやじの休日ドライブと温泉巡り

2019年GWは平成の退位と令和の即位を記念して10連休となり、やはり神代の聖地「出雲」に向かうことにしたのである。出雲までの途中、敦賀、宮津と辿り、観光名所を訪れるドライブとなりました。先ずは長野ICから中央道、小牧JCTから名神自動車道、米原JCTで北陸道に入り敦賀ICでおります。

 

若狭湾に面した敦賀は古くから日本海側では最大規模の港町でした。“北国の都ぞかし”江戸時代に井原西鶴が著した『日本永代蔵』で、敦賀の港を評した言葉です。北前船寄港地として栄えた敦賀は、「問屋は塵にまじるにぎわい」といわれ、商人だけでなくスリも全国から集まったといいます。そんなレトロな港町と由緒ある神社がシンボルの町「敦賀」を散策することにしました。


朝一番、地元では「けいさん」の愛称で親しまれる北陸道総鎮守、越前国一の宮「氣比神宮」に参拝します。大宝2年(702)創建とされる古社で主祭神に伊奢沙別命(イザワケノミコト)他7柱を祀ります。表参道口の正面にある大鳥居(重要文化財)は、正保2年(1645)建立で、春日大社、厳島神社と並ぶ日本三大木造大鳥居のひとつに数えられています。佐渡から奉納されたムロの大木で建立されたと伝わる主柱間7.45m、高さ10.93mの大規模な木造両部鳥居です。

 

 

大鳥居をくぐったすぐ左手、北側には「猿田彦神社」があり、氣比大神の案内をされる猿田彦大神がご祭神です。

 

 

その先手水舎の近くにあるのが「長命水」です。大宝2年(702)社殿を建立した際にわき出たとされる神水で延命長寿の水として、1300年以上の長きにわたり、今に長命水の名称で親しまれています。

 

 

本殿は外拝殿、内拝殿、本殿とその周囲に四社の宮が置かれている。

 

 

境内には元禄2年(1689)に敦賀を訪れた松尾芭蕉の碑があります。おくのほそ道の風景地「けいの明神」で「月清し遊行のもてる砂の上」「名月や北國日和定なき」と詠んでいます。

 

 

東駐車場奥には伊奢沙別命降臨の地と称される「土公」がります。敦賀北小学校校庭にあり、周囲には卵形の石が八角形にめぐらされています。最澄・空海が当地で7日7夜の祈祷を行ったとも伝わります。

 

 

敦賀地名神話の祖を祀る「角鹿神社」もあります。崇神天皇の時代に敦賀に来着したとされる朝鮮半島の大加羅国の貴人、都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が祀られています。日本書紀によると都怒我阿羅斯等は額に角がはえていたといい、このことからこの地を「角鹿」ひいては「敦賀」というよになったといいます。

 

 

敦賀は明治15年(1882)日本海側初の線路が敷設、明治32年(1899)には外国貿易港に指定され、明治後期から昭和初期にかけて、新橋から敦賀、航路を経てロシア・ウラジオストクを経由してシベリア鉄道でヨーロッパへとつながる「欧亜国際連絡列車」の拠点港のひとつとなり、国際都市として繁栄しました。

 

敦賀港開港100周年の一環として整備された「金ヶ崎緑地」には、その象徴である「敦賀赤レンガ倉庫」が2棟並んで建っています。外国人技師の設計により明治38年(1905)にアメリカの石油会社紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニーが建設した石油貯蔵の倉庫は、イギリス積みで造られ、内部は広大な空間を設けることができるよう柱は一本もない小屋組構造が大きな特徴です。平成21年国の登録有形文化財に指定されています。

 

 

2015年10月14日にリニューアルオープンした「敦賀赤レンガ倉庫」は北棟が鉄道と港のジオラマ館、南棟がレストラン館に生まれ変わりました。

 

金ヶ崎城跡は、延元元年(1336)南北朝の戦いで後醍醐天皇の二人の皇子、尊良親王(一の宮)、恒良親王(皇太子)を奉じて下向した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。「金崎宮」は金ヶ崎に籠城し、非業の最期をとげた、尊良・恒良両親王を祀る神社です。太平記の一話に尊良親王が永年想いを寄せ続けた姫君御くしげ殿とめでたく結ばれた話もあることから恋の宮として恋愛祈願に多くの人達が訪れます。

 

 

また金ヶ崎は戦国時代の元亀元年(1570)4月、織田信長の越前朝倉氏攻めの舞台にもなり、北近江の浅井長政の裏切りで窮地に陥り、木下藤吉郞(後の豊臣秀吉)を殿(しんがり)に撤退したエピソード「金ヶ崎の退き口」として有名です。その故事から「難関突破守・勝守」(小豆袋守)が売られていました。信長の妹お市の方は、浅井氏裏切りの危機のを知らせるため両方を紐dふぇ結んだ袋に小豆を入れ陣中の届けたという故事に因んでいます。

 

 

車を停めた駐車場近くには金前寺・鐘塚があり、松尾芭蕉が金前寺で金ヶ崎での南北朝の戦いと新田義貞の沈鐘の物語を聞いて「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」と詠みました。

 

 

さらに敦賀南スマートICから舞鶴若狭自動車道にのり綾部JCTから京都縦貫自動車道で宮津天橋立ICでおり一路天橋立に向かいます。宮島、松島と並び、日本三景に名を連ねる天橋立。『丹後風土記』による言い伝えでは国生みの神である“イザナギノミコト”が地上の籠神社(真名井神社)にいた“イザナミノミコト”に会うために天井からかけた「愛の通い梯子」が、うっかり眠っている間に人間を通してはならないという神々の約束を破って通してしまった神がいたため、一夜のうちに地上に倒れ、それが天橋立になったともいわれています。

 

 

実際は日本海を流れる対馬海流が、宮津湾へ運んできた砂と内海の阿蘇海に流れ出る野田川の土砂が、何千年という長い時間をかけて堆積したできた約3.6kmにおよぶ自然の造形であり、約8千本の黒松が生い茂ります。

 

 

日本三景という発想が最初にみられるのは林春斎が寛永20年(1643)に「日本国事跡考」で天橋立を松島・厳島とともに「三大奇観たり」と述べています。その後元禄2年(1689)に貝原益軒が天橋立を旅行した記録『己巳紀行』の中に「日本三景」という言葉が登場します。

 

少し離れた市営駐車場に停め、歩いて先ずは飛龍観「天橋立ビューランド」に向かいます。

 

 

すでにチケット売り場は大行列で、チケット購入に30分、モノレールもしくはリフトに乗るのに50分程度かかる状態でした。リフトのほうが早いとのことで約6分の空中散歩を楽しみます。

 

 

文殊山山上にある天橋立ビューランド展望台で股のぞきをしてみると、龍が天に舞い上がる姿に見え、それをたとえて「飛龍観」とよぶようになりました。こちらからは緑の松と白い砂浜のコントラストが美しく、ギザギザに見える砂浜はまるで龍の背びれのようです。

 

 

飛龍観を見れば次は向かいの昇龍観「傘松公園」へ。今回は天橋立桟橋から天橋立観光船に乗って一の宮駅までの片道約12分の船旅です。心地よい内海の潮風を感じながらのクルーズが楽しめます。

 

 

天橋立の松並木に沿うように運行する観光船では船内で売られているかっぱえびせんを使って船上でカモメの餌付けが楽しめます。カモメが愛嬌を振りまくように旅のお供をしてくれます。

 

 

一の宮駅で下船しリフト・ケーブルカー乗り場の府中駅から傘松公園に向かいます。

 

 

ここでもリフトのほうが早いとのことで約6分の空中散歩です。

 

 

古くから天橋立を望む絶好のスポットで、股のぞき発祥の地とされる傘松公園からの眺めは「昇龍観」と呼ばれます。阿蘇海と宮津湾を分けて伸びる天橋立が昇り龍のように見えることから縁起のよい景色とされています。キラキラ輝く海の青さ、一文字にのびる松林の緑、そして春霞がかかった穏やかな島や空の色にしばし見惚れます。

 

 

傘松公園では、遠く離れた若狭湾に浮かぶ冠島沓島を参拝することができる遥拝所があります。冠島と沓島島は、彦火明命と市杵嶋姫命が一番最初に天下り夫婦となった神聖な島として古くから信仰を集めてきました。その神々を祀っているのが丹後一宮 元伊勢 籠神社であり、現在は、元伊勢籠神社 海の奥宮とあがめられています。

 


「伊勢へ詣らば元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風海山越えて 天橋立吹き渡る」の一節は「元伊勢まいり」を謡った丹後の民謡である。江戸時代、伊勢神宮へ参拝した後、元伊勢の地をめぐる元伊勢まいりが流行したらしい。元伊勢とは、天照大神が伊勢神宮にお鎮まりになるまで巡幸された地のことで、宮津天橋立にある「元伊勢籠神社」は天照大神の最初の巡行地とされ、丹後国の総氏神であり、ご祭神の豊受大神とともに、この地「吉佐宮」に4年間お祀りされたと伝えられている。

 

 

天橋立も元伊勢籠神社の参道として広まったものと考えられ、「古事記」に登場する「天浮橋」も天橋立だといわれている。「元伊勢」の中でも随一の社格と由緒を持ち、本殿の造りも伊勢神宮と同じ「唯一神明造り」となっており、社格の高さは高欄に据えられた伊勢神宮と籠神社にしか許されない五色の座玉(すえたま)からもうかがえ、厳かな神秘の光を放っていたように感じます。

 


神門前の石段わきにある鎌倉期の名作・石の魔除けの狛犬は作者の魂が入って天橋立の松原に出没していたのを剣豪・岩見重太郎に斬られたといいます。

 

籠神社の奥宮「真名井神社」は、別名を久志濱宮とも言われ、「くし」とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味する。この地に神代の昔、豊受大神が天降られ、豊かに稔る田を「あなえにし田庭!」と喜ばれたことから名付けられ「丹波」の地名になったと言われているのである。

 

 

解放的な籠神社の境内とは対照的に、真名井神社の神域は昼なお暗い樹木の生い茂る山名で麓から長い参道を行くと、最後は土の道になり、その先に祠のような神殿がある。一見質素に見える小さな神明造の本殿はどこか格の高さを漂わせている。

 

 

本殿の裏には約2500年前からそのままの形で祀られている古代の祭祀場、磐座がある。写真の磐座は手前に天照大御神、そしてイザナギ・イザナミを祀り、奥の磐座には豊受大御神を祀っている。実に2500年前からそのままの形で祀られているという、古代の祭祀場だとされるとんでもないパワーというかオーラという”気”に満ちている場所である。

 

境内には「天の真名井の水」というご霊水がこんこんと湧き出ていている。「真名井」とは水につけられる名前では最高の敬称だそうで、社伝によれば三代目祖神・天村雲命が高天原に行き、神々が使う水を黄金の鉢に入れてお水を持ち帰ったとされている。神様の世界の水なのである。ここは大自然の力を感じるスポットであり、知る人ぞ知る日本最古のパワースポットなのである。

 

 

帰りはレンタサイクルで砂州の中の太陽が真横から松林を照らす夕暮れ時、天橋立が「海を渡る線路」のように見えるロマンチックな現象から名付けられた「トワイライト・レールロード」を約20分走ってもどります。

 

 

入口にある「特別名勝天橋立」の石碑からスタートです。

 

 

途中には「天橋立神社」。正面に豊受大神、向かって左は大川大明神、右は八大龍王が祀られています。

 

 

その近くには日本名水百選のひとつ「磯清水」があります。海に囲まれながら真水が湧き出る不思議な名水で「一口は げに千金の磯清水」と俳句にも詠まれ、永く珍重されてきました。

 

 

桃山時代の剣豪、石見重太郎兼相は父の仇を追って宮津に入り、天橋立で本望をとげたと伝わります、試し切りの石も残されていて、さっくりと切られた石の上に1円玉を乗せると、いつまでも一緒にいられるというおまじないがあるらしい。

 

 

天橋立と文殊堂のある陸地をつなぎ、船が通るたびに90度旋回する珍しい橋「廻旋橋」を渡って自転車を返しに行きます。

 

 

桟橋近くにあり「知恵の輪灯籠」は、三回くぐると知恵を授かるといいますが、大人にはちょっと難しく、まさしく知恵が必要のようです。

 

 

「三人寄れば文殊の知恵」で知られる文殊菩薩は知恵を象徴する神様。臨済宗妙心寺派の禅寺「天橋山 智恩寺」には、古代より知られる文殊菩薩の霊場で日本三文殊のひとつ「知恩寺 文殊堂」通称切戸文殊があります。因みにあと二つは山形の亀岡文殊堂(大聖寺)と奈良の阿倍文殊院とのこと。


江戸時代の宝暦12年(1762)に着工された「山門」は足掛け7年、延べ8千人の大工さんを要したと伝わっています。再建にあたって後桜町天皇から黄金が下賜されたことから「黄金閣」とも呼ばれます。細部にいたるまで本格的な禅宗様式を伝える山門として丹後地方最大のものです。楼上には宝冠をいただく釈迦如来坐像や十六羅漢が安置されています。

 

 

三門をくぐると境内、日本の国土創生の時、この地で暴れていた悪龍を鎮めるため中国から知恵第一の仏様で、龍神の導師である文殊菩薩を招請され、悪龍を教化されたと伝えられている。本尊は騎獅文殊菩薩坐像でインドから中国へ旅した姿と伝えられています。

 

 

智恩寺の山門前には名物「知恵の餅」が食べられる4軒の茶屋が並ぶ「四軒茶屋」があります。鎌倉時代の伝説から、お餅を食べると知恵が授かるといわれます。

 

 

中でも「勘七茶屋」は、1688年創業で、江戸時代から続く老舗で、今回はいただきます。妻はあんこの「知恵の餅」、小生はきなこの「重太郎餅」をいただきました。昔ながらの製法にこだわり、やわらかなお餅に秘伝の餡をたっぷりのせたもので、あっさりとした甘さが人気の秘訣です。食べ比べしてもおもしろいかも。

 

 

天橋立に分かれを告げ、次に向かうのはちょっと足をのばして重要伝統的建造物群保存地区の「伊根の舟屋」に向かいます。海の生活が感じられる町、伊根は古くからの漁師町。海続きの1階が船のガレージで、2階が生活の場、道路を挟んで裏に母屋があり、海の上に建っているような家屋「舟屋」が約230軒ほど湾内に立ち並ぶ不思議な光景が見られます。

 

 

港に舟屋が並ぶ光景を湾に沿って海から眺めることができるのが、伊根湾めぐり遊覧船です。

 

 

潮風に吹かれながら舟屋の景色を楽しんでいると、ぴったり寄り添って飛んでくるのが白い羽を広げた海鳥たち(なかに混じってトンビも)で、心地よい所要時間がおよそ30分のミニクルーズが楽しめます。

 

 

ホテルに向かう前に天橋立が一望でき、ぶどう畑に囲まれた「天橋立ワイナリー」に寄っていきます。北海道でワインづくりを学んだ「ワインとお宿 千歳」のオーナーが夢を叶えたワイナリーです。

 

 

京都丹後産にこだわって醸造するワインは、加熱処理せず、瓶の中で熟成が進むフレッシュでフルーティーな味わいです。ガラス越しに醸造タンクや瓶詰室を見学できるのも楽しいワイナリーです。

 

 

今夜の宿は「橋立ベイホテル」、隣接する「岩滝クアハウス」で旅の疲れを流します。