朝7:30嵐電嵐山駅に降ります。早朝拝観の天龍寺に向かいます。
平安貴族も愛した山ごと鮮やかな紅葉に包まれる風光明媚な景勝地・嵐山の紅葉の名所そぞろ歩きのスタート地点は、世界遺産の「天龍寺」です。
暦応2年(1339)室町幕府初代将軍・足利尊氏が吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために。夢窓国師を開山として創建した臨済宗天龍寺派の大本山で、正しくは霊亀山天龍資聖禅寺といいます。
夢窓国師が手掛けた池泉回遊式の「曹源池庭園」は、国の史跡・特別名勝第一号に指定された名園です。多くの堂宇が明治以降の再建ですが、曹源池庭園は創建当時の姿を留めていています。曹源池の名称は国師が池の泥をあげた時、池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられました。
この庭園だけなら朝7:30から参拝できることから1番に訪れたのです。背後に連なる錦秋の左手に嵐山、正面に亀山・小倉山、右手遠方に愛宕山を借景に自然美を取り込み、禅の思想が息づく庭園の人工美が一体となった壮大な景色は、紅葉が加わることでよりいっそう華やかに見えます。優美な王朝文化の大和絵風の州浜と宋元画を思わせる池奥の景色とが融合しています。正面の枯山水の三段の石組は龍門の瀧といい、これは中国の故事に由来します。
赤く燃え立つ木々の紅葉が曹源池の水面まで赤く染め上げる景色は、JR東海「そうだ京都、行こう。」2016年秋のポスターに採用されています。『外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう。「借景」は、きもちの言葉でした。』CMでは【お寺を建てて美しい庭をつくろう、 600年以上も昔のプランです。外の景色をお借りして完成できたことに感謝をです。そんな気持ちがここにはあります。景色を借りると書いて「借景」いい言葉じゃないですか。】
境内には大方丈、書院、庫裏、法堂、僧堂などの禅寺様式の建物が並び、法堂の天井には有名な「雲龍図」が描かれていますが早朝参拝は庭園のみになります。
メインストリートを真っぐ直進していきます。通りにはかわいいお地蔵さんの姿も。
突き当りにあるのが浄土宗の古刹「五台山清涼寺」です。光源氏のモデルとされる嵯峨天皇の皇子・源融が営んだ山荘棲霞観が起源で、別名「嵯峨釈迦堂」と言われ、本堂には胎内に絹で作られた五臓六腑を収めた国宝・釈迦如来立像が安置されています。
大きな屋根が特徴の本堂は江戸時代の再建です。
ここを起点に嵐山・嵯峨野の散策が始まります。JR東海「そうだ京都、行こう。」嵐山・嵯峨野編で【ここらあたりを歩くコツ教わりました。簡単でした。道はひとつ裏へ、も一つ奥へ、ほーら発見、広い道ばかり歩いてばかりいたらきっと見つからなかった思います。】とあるようです。
歩いてすぐに「宝筐院」があります。平安中期、白河天皇の勅願により創建された善入寺が起源で、後に伽藍整備に尽力した室町幕府2代将軍足利義詮の菩提寺となります。
書院から本堂の周辺は、白砂・青苔と多くの楓のある回遊式の枯山水庭園が広がり、鮮やかに染める赤や黄色の紅葉グラデーションが印象的で、紅葉の赤と苔の緑ノコントラストが美しいです。
歩くこと5分で「厭離庵」です。歌人藤原定家が小倉百人一首を編纂した山荘「時雨亭」跡と伝わる地です。現在は臨済宗天龍寺派の尼寺で紅葉に染まる境内には、定家が筆を洗った「柳の井」や定家塚があります。
書院前の紅葉を眺めながら、山荘で選歌に勤しむ定家の姿に思いを馳せたい。
通りから少し奥まったところにあるのが悲恋を伝える尼寺「祇王寺」です。平安後期、平清盛の寵愛を失った白拍子・祇王が母刀自、妹祇女とともに出家し。庵を結んだことに始まります。郷愁を誘う詫びた風情の山門をくぐって境内に入ります。
静けさに包まれた茅葺屋根の庵の前には苔むす庭が広がり、周囲にめぐらされた小路を歩きながら鑑賞できます。
庵の中には祇王らの木像が安置されています。
紅葉に木々を縫って差し込む木漏れ日、苔を覆う散り紅葉、その眺めはまるで一枚の絵画の様に完成されています。紅葉の道がいくつも見つかる嵯峨野の中でも、ひときわひっそりと、しかしドラマチックな趣にあふれるところです。
JR東海「そうだ京都、行こう。」1994年秋のポスターには「なにしろ、日本でいちばん四季にうるさい町の紅葉ですから。このへんにあるといいな、とおもうところに、ちゃんと紅葉があるんです。京都では。」
嵯峨嵐山の小倉山の東麓に門を構える「ニ尊院」は、正式には小倉山二尊教院華台寺と言います。二尊院の名は、人が誕生し人生の旅路に出発する時送り出してくださる「発遣の釈迦」と人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎え下さる「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。この二尊により現世と来世の安寧を得られるというこの思想は中国の善導大師が広め、やがて日本に伝わり法然上人に受け継がれたといわれます。
嵯峨天皇の勅願により、承和年間(834~847)に慈覚大師・円仁によって創建されました。
伏見城から移築した総門からのびる100mの参道は広く、「紅葉の馬場」と呼ばれる両脇からの紅葉は圧巻です。
さらに白壁から続く真っ赤な紅葉がその先の境内へと導いてくれます。この景色がJR東海「そうだ京都、行こう。」2012年秋のポスターに採用されています。【この紅葉の先には、二体のご本尊様が並んでおいでになります。それは・・・いや、説明はやめておきましょう。肝心なのは知ることではなく、感じることだといいますから。紅葉は旅の入口にすぎませんでした。】
本堂前の庭は龍神の庭と呼ばれ、九頭竜弁財天が祀られています。
祇王子、二尊院とお寺が続き、清少納言が「枕草子」で、野は嵯峨野、山は小倉山と讃えられたこのあたりは宮人の草庵や隠れ家が多く作られました。宮廷歌人藤原定家もそのひとりで、古来の名歌100首を選んだいわゆる「小倉百人一首」の山荘後跡はここ「常寂光院」にあるといわれています。
16世紀末の江戸初期に日禛上人が隠棲の場所として開創し、仏教の理想郷「常寂光土」の趣を持つことからこの名が付けられました。ひっそりと佇むなんとも趣のあり山門をくぐります。
本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代のもので、楓に覆われた43段の石段を上った先から振りかえると紅葉が散りかかる風情は定家の和歌の世界を思わせます。JR東海「そうだ京都、行こう。」1993年秋のポスターに採用されています。『紅葉なんてどこにでもある、と思っていました。失礼しました。』
約200本のもみじは、樹齢100年以上の老樹が多く、しっとりとした苔の緑色と鮮やかなコントラストを描きだします。【良か秋やね、と言葉をかわしあえる、それだけで、うえしかよ。】身を隠しているかのようなお寺ですが、伏見城から移築した本堂。
その背後の境内の上から小倉山の紅葉をまとう重要文化財の多宝塔越しに遥か嵯峨野の町も望める景色は、JR東海「そうだ京都、行こう。」2007年秋のポスターに採用されています。『暑い夏を乗り切った私に、この町が「おつかれさま」と言ってくれました』
帰りは迂回して「女坂」と呼ばれるなだらかな階段を下りてくるとまた違った感動的な風景に出会えます。
通りに出たところに「落柿舎」が見えます。松尾芭蕉の門人である江戸時代の俳人・向井去来が晩年を過ごした草庵です。
茅葺きの簡素枯淡な庵の佇まいはいかにも俳人らしく、往時の暮らしが偲ばれます。
「野宮神社」に立ち寄ります。平安時代から南北朝時代にかけて、天皇の代理で伊勢神宮に仕える斎王が出発前に身を清めた場所で「源氏物語」にも登場します。色鮮やかな紅葉に映える黒木鳥居は、クヌギの樹皮を剥がずに組んだ日本最古の様式です。良縁や安産の御利益で知られるので長蛇の列です。
トロッコ嵐山駅から亀山公園を抜け、保津川下りを眺めながら「宝巌院」に向かいます。が、お腹もすいたことから先ずはお向かいの「湯豆腐 嵯峨野」で昼食をとることにしました。
たまたま窓ぎわの席ではないものの本館2階の桜の間で食事ができました。お店の中を通りすぎ、中庭の紅葉を愛でながら数寄屋作りの本館に上がります。
湯豆腐(十品)3800円の一メニューですが慣れた対応で次から次へと料理が運ばれてきます。味気ないですが、観光シーズンの嵐山、ぜいたくはいえません。湯豆腐が温かくなるまで、ひろうす、胡麻豆腐、湯葉のしぐれ煮、ちりめんの山椒煮、小茄子の醤油漬け等が手際よく順に運ばれてきます。湯豆腐が食べ終わったのを見計らって、天ぷら、ごはん、香の物、最後にデザートが来て、窓からの紅葉を眺めながら一時を過ごします。
湯豆腐 嵯峨野の玄関前、宝巌院の門前には「嵐山羅漢」が祀られています。
「大亀山宝巌院」は、寛正2年(1461)に室町幕府の管領細川頼之により夢窓国師の第3世法孫聖仲永光禅師を迎え創建された天龍寺の塔頭寺院です。
江戸時代に京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」にも掲載された名庭「獅子吼の庭」があります。室町時代に二度中国に渡った禅僧策彦周良禅師によって作庭された嵐山を巧みに取り入れた借景回遊式庭園です。「獅子吼」とは「仏が説法をする」の意味で、獅子の形をした獅子岩や三尊岩などの巨岩を配した庭園を約300本の紅葉が彩ります。
最後に嵐電嵐山駅からバスに乗り、「旧嵯峨御所 大覚寺門跡」を訪れることにしました。もとは平安初期、嵯峨天皇によって建てられた離宮「嵯峨院」でしたが、貞観18年(876)に寺に改められ、明治時代初頭まで天皇や皇族が門主を務めた門跡寺院です。
正面には式台玄関があり脇にある、11月からお披露目される嵯峨天皇ゆかりの古典菊「嵯峨菊」もみどころです。
御所より移築した宸殿や御影堂など王朝風の雅な趣を色濃く残しています。特に宸殿は、江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物で、天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が女御の寝殿として使用されていたです。妻飾り、破風板、天井などに装飾が凝らされています。
諸堂を結ぶ回廊は縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊」を稲光にたとえ「村雨の廊下」と呼ばれています。天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床は鶯張りとなっています。
境内の大沢池は周囲1.2kmの日本最古の人工の林泉で、嵯峨天皇が唐も洞庭湖を模して造られたことから庭湖とも呼ばれます。池の周りには茶屋や石仏群、名古曽滝跡などが点在し、時代劇の撮影によく使われています。
JR東海「そうだ京都、行こう。」2007年秋のポスターに採用されています。『美しい景色は人がつくり上げるものです。この当たり前のことに1000年たった今、ドキリとするのはどうしてだろう』CMでは、【平安時代の初めにわざわざ海外の情報を集め、書を読み、話を聞き、練りに練ってこの空間設計のプランは生まれたといいます。風景は人がつくり上げるものなんですよね。この当たり前のことに1000年たった今、ドキリとするのはどうしてだろう。】
これで心置きなく嵐山の紅葉を満喫し、長野に帰ります。












































