4月の桜、5月の薔薇そして6月の紫陽花の季節のあいだにひっそりと咲く「スズラン」で有名な「入笠山」を目指すことにしたのである。入笠山は、長野県の中西部にある赤石山脈(南アルプス)北端の標高1955Mの山で、日本300名山/決定版花の百名山(花の百名山地図帳)に選ばれている山なのである。 富士見町と伊那市の境界にあり、2000M近い山ではあるが富士見町側からのゴンドラリフトや道路が山頂近くまで開いているため、比較的容易に登頂することができるのである。しかしながら8時から15時の間はマイカー規制があるのでその前に山頂付近にある御所平峠駐車場に着かなければならないのである。ということで今日は朝の4時出発である。中央道諏訪南ICを降りて、駐車場は200台なので早く行かなければと車を飛ばす。
御所平峠駐車場に車を置いて入笠山山頂を目指す。御所平峠から入笠山山頂までは所要時間
30分程で登れ、山頂からは360°の大展望が広がり、南・中央・北アルプス・八ヶ岳はもとより遠くは富士山も望めるのである。があいにく今日は晴れの天気予報であったのに山頂は雲が切れずまったく駄目であった。
気を取り直して下山したあと、遊歩道を10分程歩いて入笠湿原を目指す。遊歩道脇には、クリンソウの群落も見える。
「入笠湿原」一帯のコナシ(ズミ)が見頃になっている中を歩いて、ゴンドラリフト駅のあるアカノラ山に通じる木の階段を上る。
この両脇が日本スズランの群生地なのである。100万本の日本すずらんの白い可憐なはなが沢山見える。純愛の花言葉まさしくピッタリである。
ゴンドラ駅前には入笠すずらん山野草公園があり、20万本のドイツすずらんが満開であった。
また富士見パノラマリゾートもゲレンデコースがハート型であることから「恋人の聖地」に認定されている。
さて入笠山を満喫したので林道を下り、高遠を目指すことにしたのだが、その前に長谷に寄ることにしたのである。目的は「熱田神社」である。南アルプスの麓に抱かれた伊那市長谷は古くから諏訪より高遠を抜け、遠州秋葉神社へ至る秋葉街道の重要な拠点であった。熱田神社の由来は、尾張の熱田神宮に通じ、熱田神宮の御祭神である日本武尊は、東征の帰途長谷の地に立ち寄り、村人を悩ませていた大蛇を退治したとの伝説があり、後の世の人々が集落の鎮守として日本武尊の徳を慕い、地区を守護する産土神として祀ったのが起源とされ、「信濃なる 伊那てふ里の 片辺にも めぐみあつたの 神の御柱」と、南北朝時代の公家である藤原成文の歌も残されている。本殿は宝暦13年(1763)に5年がかりで大工棟梁・高見善八により再建されたもので、三間社入母屋造の趣あるものである。
木鼻の麒麟や肘木の彫刻は、豪華絢爛な彫り物を得意とする上州の左甚五郎と呼ばれた彫り物師・関口文治郎によるもので、特に肘木の唐獅子や象、龍、獏など繊細かつ大胆な彫刻は、「伊那の日光」という別名をもつほどに息をのむような彫刻に圧倒される。彫刻は彩色を施されることにより、なお一層立体感を持ち、いくらみていても飽き足りないほどに魅了されそして圧倒される。本殿は明治時代に再建された茅葺の覆屋の中にあるため保存状態も良く、凛とした佇まいを見せる。
さてお昼は高遠の「壱刻」でと決めていたので、また車を走らせる。 「たかとほは 山裾のまち 古きまち ゆきあう子等の うつくしき町」と、明治の文学者・田山花袋が謳った高遠は、700有余年歴史文化に支えられた、中央アルプス、南アルプスの秀峰を一望する、風光明媚な山裾のである。
元禄年間には、3万3千石の内藤家によって統治され、現在のような形の城下町が整備されていくのである。古くから伊那谷における政治、経済、文化の中心地で栄えた高遠は、古い町並みや文化財、名所旧跡が数多く残る。高遠に遠流された悲劇のヒロイン・絵島の伝説が残る「絵島囲み屋敷」のほか、町内には中世以降の名勝古刹が点在する。高遠城主の御用菓子であった高遠まんじゅうや保科藩主の時代から伝わる高遠そばなど、由緒ある名物も多い。
さて時間は丁度11時半、JRバス高遠駅に車を入れて、蕎麦を食べに向かいの「壱刻」を訪れる。
隣の酒店が味噌の貯蔵に使っていた明治24年の醤油酒蔵を再生した落ち着いた佇まいの中で、自家製粉した手打ちそばがいただける。高遠産のほか季節に応じて全国から選りすぐったそば粉を使い、香りの高さと甘味の深いそばに仕上がっている角の立つ細切りの蕎麦は、風味を引き立たせる上品なそばつゆとのからみ具合も絶妙である。そばは二八、丸抜きの十割、挽きぐるみの十割、と変わり蕎麦の4種類から選ぶ。小生は抜きの十割、妻は二八での高遠そばを注文する。
高遠そばには諸説さまざまだが、今を遡ること1300年程前の奈良時代から伝わる言い伝えに由来する。伝説の天才的修験者「役小角」が、東山道を辿り荒行の聖地「駒ケ岳」を目指していた際、伊那市西部の内の萱で村人に温かくもてなされた小角は、お礼に厳しい気候条件でも栽培でき、栄養価の高い「そばの実」を村人に贈り、村人はこの一握りのそばを大切に育てて、やがて信州全体に広がったのである。
以来内の萱は信州そば発祥の地と言われ、今も毎年十月に「行者そば祭り」が開催されている。「行者そば」の特色は地粉で打った手打ちそばを大根おろしの汁に焼き味噌を溶きいれた「辛つゆ」でたべることにある。山国の信州では鰹節などが貴重品であるがゆえ、そばつゆの代用として編み出されたのである。
そしてその「行者そば」を好んだのが、江戸幕府徳川二代将軍秀忠の妾腹の子で高遠藩主であった保科正之である。「辛つゆ」にさらに大根おろしとネギを薬味として加える食べ方を特に好み、領内で大根を栽培させるほどであったという。また高遠藩のおもてなし料理として将軍に献上
していたとのこと。大根のおろし汁に焼き味噌を溶いた辛つゆが行者そばの特徴で、それに薬味のネギを添えたのが高遠そばである。
その正之公が高遠から出羽山形藩へ転封となり、その後さらに会津藩へ国替えになるとともにこの食べ方が伝えられ、今の会津地方では「高遠そば」として親しまれていて、「高遠そば」と言う呼
び方自体が、300年以上のときを経て会津から高遠へ里帰りしてきたものなのである。
壱刻では薬味にネギ以外に大根おろしもいれるようになっていて、辛つゆで食べたあとに少しづつそばつゆを足していくことも出来る。
女性向けにそば白玉ぜんざい等の甘味メニューも小気味よく揃えている。小生の妻は女性であったので当然食後にそば白玉ぜんざい(温)を注文していた。餡は高遠まんじゅうの老舗・亀まんの餡を使っている。
お腹も膨れ城下町を散策することにした。高遠には由緒に富んだ寺院が横町を中心に点在し、寺の数は23を数え、寺の町であることを物語っている。まずは高遠城の守護神として歴代領主の厚い信仰を受けた神社である「鉾持神社」にむかったのであるが、急な階段が天に登りつめるかのように続いていて、なんと石段の数は321段で、入笠山を登ってきた小生の足にはもう登りきる力は残っていなかったのである。
次に向かった「建福寺」は高遠城主であった武田氏と保科氏の菩提寺として古くから栄えたお寺で、門前には名石工であった守屋貞治作の六地蔵・観音像といった石仏がずらりと並び圧巻である。全国に名をとどろかせた高遠石工のルーツを偲ぶのにふさわしい。
ここから300M先には「満光寺」がある。石段の上に高くそびえる立派な鐘楼門は遠くからもよく見える。高遠の町を見守る、満光寺鐘楼門は、科の木(別名:中国菩提樹)を使った鐘楼を兼ねた楼門。間口は四間、奥行きが二間半、牛窪流の大工、菅沼定次の作といわれ、延享元年(1744)の修復。禅宗様式を取り入れてあり、屋根には張りがあり、枡組が精巧、彫刻の技法が巧妙でひときわ美しい。鐘楼には、かつて松本の鋳物師・田中伝右衛門が鋳造した鐘があった。満光寺の創建は天正元年(1573)、江戸時代高遠藩主となった内藤家の菩提寺となったため寺運が隆盛し、伊那郡の中心的寺・録所として、浄土宗の中心的役割を持った。天文4年(1739)年に再建されたときに、科の木を使い、善光寺に模した伽藍配置にして建てられたので、「信濃の科寺」とか「伊那善光寺」とも呼ばれたとのこと。境内には樹齢数百年といわれる「極楽の松」と呼ばれる黒松があり、一目みれば極楽成仏できると言い伝えられている。
また300M先には田山花袋によって発見された「絵島の墓」がある蓮華寺がある。甲州藩士の娘
であった絵島は大奥で出世し大年寄にまで上ったのであるが、当時の人気歌舞伎役者生島新五郎と恋仲となり、二人はとがめを受けて絵島は高遠へ、生島は三宅島に流されたあの「絵島・生島事件」の絵島である。絵島囲い屋敷で厳しい監視にさらされ、34歳から61歳で死ぬまで一人寂しく暮らしたという。
創業140年の上伊那を代表する酒蔵「黒松仙醸」も高遠町の街づくりに貢献している。上伊那地域の東の穀倉地として城下には多い時で16の酒蔵がったというが、現在唯一つ伝統を受け継いでいる蔵元が「仙醸」である。創業は慶応2年(1866)16の蔵のうちのひとつ、広瀬家の酒蔵を買い取り、酒業を開始。黒松仙醸の黒松とは、初代当主の黒河内松治郎氏の名前に由来している。以来高遠に銘酒ありと言われてきたのである。
高遠土産の定番で、なんと400年以上前の天正年間(1573~1591)から伝えられているという名物まんじゅうが「高遠まんじゅう」である。こしあんで薄皮にはサクラと高遠城址、町内に5軒ある製造店名の焼印がされている。しかし高遠まんじゅうといえば「老舗 亀まん」なのである。明治初め、銭湯「亀の湯」で客に振舞っていた饅頭が話題となり、饅頭屋に衣替えしたのが店の始まりで、名代の亀まん頭は130年来。当時の作り方を忠実に守り、北海道産小豆を使った自家製の滑らかなこしあんで、上品な口当たりに仕上げている。
さて高遠城址は春の桜の時期に来るとして、登山の疲れを癒すべく帰宅途中にある「大岡温泉」に向かうことにしたのである。 麻積ICからアルプス展望街道(丸子信州新町線)の山間を縫うように30分程走っていると「芦ノ尻道祖神沿道ミニパーク」に出合う。長野冬季オリンピックの開会式に登場した芦ノ尻道祖神はもともとは無病息災を祈念する神様で、正月7日に村内の各戸から松飾り(注連縄)を持ち寄って、道祖神の石碑に人面神を祀る「神面装飾道祖神祭」という伝統行事である。この道祖神があるミニパークから眺められるアルプスも展望は村内随一とのことなのだが今日はまったく見えずで残念。
やっとの思いでたどり着いた「大岡温泉」は物見湯産手形が平日のみになっていたり、ボイラーの
故障で水道水の沸かし湯であったりと踏んだり蹴ったりであった。本来なら北アルプスを目の前に最高の景色が望める露天風呂があり、泉質もメタケイ酸・メタホウ酸で疲労回復に最高なのであるが・・・・残念。

















