近藤義郎『前方後円墳の時代』岩波文庫、2020年

第3章 手工業生産の展開

縄文社会の分業と交換の話になる。

「分業の成立・発達を考古学的に追求する手がかりは、その多くが分業の結果として生まれる交換の事実であろう。しかしそうはいっても、交換の事実を直接に証明できるものはそう多くはない」(P89)。

弥生時代に入ると、その交換の対象として、鉄、青銅製品、塩などが挙げられる。塩は縄文時代にも交換の対象と考える。

「器形も単純で文様もない、特殊に機能化した製塩土器によっておこなわれる製塩は、関東では後期末に始まり、晩期前半でほぼ消失し、東北では逆に晩期後半に盛行する」(P86)

農工未分離の社会において、分業も不均等的に発展したことが分かる。

「この不均等は、すでにふれた農業生産における不均等とからみあって、親縁集団内にも、また地域ごとにも、優位と劣位を析出させ、列島内諸集団間の関係を大きく変えていく力となった。そこではもはや、交換はひとつの強制力とさえなりつつあったと考えられる」(P111)。

「交換はひとつの強制力」という言い方は気になる。

第4章 単位集団と集合体
「遺跡としての弥生時代集落はさまざまな在り方を示し、一見とらえどころがないようにみえるが、基本的には相互にかかわりあう二つの形態として現象している」(P113)。

近藤義郎は「数戸でひとまとまりをみせる遺跡」を「単位集団」、「単位集団」の複数を含む「十数戸ないし数十戸の群をなす遺跡」を「集合体」とよぶ(P113)。

福岡県宝台遺跡では三戸から五戸の竪穴住居跡を持って単位集団とし、それらを統括する集合体を想定する。単位集団の分業ないしは分割所有と集合体としての規制の対比が面白い。

第5章 集団関係の進展
氏族共同体が急速に集団分岐するのは弥生前期末葉に始まり、中期に入ってからだ。血縁的同祖同族関係や物質の交流を通じて重層的に編成され、共同体規制の強化が氏族長の権限を強めて行く。そして、大和における強大部族連合の成立を見る。

第6章 集団墓地から弥生墳丘墓へ
いよいよ墓の話である。