子安宣邦『「近代の超克」とは何か』青土社、2008年第3


「近代の超克」は文學界の座談会「近代の超克」(1942910月号)だけでなく、中央公論の座談会「世界史的立場と日本」(19411月号、4月号、18年新年号)を含めた広い概念と竹内好が書いていたが、後者の内容は資料を持っていないので、子安宣邦先生の『「近代の超克」とは何か』をめくっていくと、「近代の超克」と三つの座談会の話が出てきた。座談会「大陸政策十年の検討」(『満洲評論』194110月号)が取り上げられていた。少しマニアックであるのは、Googleで検索してもほとんどひっかからないことで分かる。


『世界史的立場と日本』(1943年)や、座談会「大陸政策十年の検討」(『満洲評論』1941)が掲載されている『アジア・日本の道』橘樸(たちばな しらき)著作集第三巻(勁草書房、1966年)などの基本的な資料が手元にない中で、読み進めるのは難しくなった。


6 東亜と「日本的平和」の構想 では尾崎秀実「東亜共同体の理念とその成立の客観的基礎」が出てくる。尾崎秀実は座談会「大陸政策十年の検討」に出たあとゾルゲ事件で検挙されている。岩波新書『現代支那論』(1939年)も秋の講義ですることが予告されており気になるところだ。


昭和の思想状況と歴史認識は切り離して考えられない。親達が経験した昭和の戦争に行き着いた明治維新の近代は私にとっても重要なテーマである。


注)

樸については子安宣邦先生の「中国主義者橘と国家改造論」『昭和とは何であったか』(藤原書店、2008年)を読むと、『「アジア」はどう語られてきたか』(藤原書店、2003)の第1章で語ったとある。


子安宣邦『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012年)でも橘樸が語られていた。

第5章 橘樸を読むとは何か 橘樸『支那社会研究』を読む その1

第6章 中国は社会革命の波間に漂うている 橘樸『支那社会研究』を読む その2

第7章 橘樸における<満州>とは何か


尾崎秀実もチェックしておく。

第8章 <事変>転換への戦闘的知性の証言 尾崎秀実「東亜協同体」論を読む