今谷明『歴史の道を歩く』岩波新書、1996

 

ここでは、近江に関係するところを二つメモする。

 

朝鮮人街道を歩く 近江・浜街道

 

日朝通交史の観点からの話であった。朝鮮通信使は船で大坂まで来る。淀川を使って淀から京都、大津を経て、野洲から中山道を外れて琵琶湖の湖岸よりの浜街道を鳥居本まで歩く。そこで浜街道は中山道に合流する。なぜ、中山道から外れる浜街道を行くのかが考察の対象になる。

 

今谷明氏の現地踏破は、大雪のため、野洲で「久野辺の松」と近江八幡で朝鮮人街道の道標を確認した程度で終わってしまったのが残念である。

 

日野富子は何を祈願してのか 近江・葛川越

 

比良山地と丹波高原の間を南北に裂けた花折(はなおれ)断層を朽木(くつき)から大原・南八瀬に至る道を葛川越(かつらがわごえ)、鯖街道といった。

 

葛川明王院については、以前メモしてことがある。ここに日野富子の参籠札がある。何を祈願したのか。今谷明氏は夫である源義政との復縁を願ったと推理する。

 

踏査記は1991年の時で、安曇川駅の旅館で泊まり、朽木までバスで行くが、朽木から10km弱を歩いてはる。葛川明王院からのバスも3時間待ちで、1時間歩いたところで、車に拾ってもらい、堅田へ向かって終わる。

 

注)回峰行で行者が参籠する葛川明王院についてのメモ

 

志古淵神社の花笠踊


注)鯖街道というのは若狭から京都までの鯖などの運搬ルートの総称であり、小浜から熊川、朽木を通り京都の出町までの若狭街道が知られているが、針畑越から久多を通る小浜街道もある。