最近中国のケンタッキーやマクドナルドでは、ほとんどの人(その多くは若者)が携帯でメールをチェックしたり小説を読んでいたりゲームをしていたりする。へ―日本と同じなんだと思われるだろうが、ほんの数年前までは決してそうではなかった。
一昔前まではモバイルでインターネットというのはステータスに近いものがあったし、中国語を勉強したことのある人なら知っているだろうが、そもそも携帯電話を持っているということ自体が「兄貴」であることの証とさえみなされていた。
中国語を勉強したことのない人のために注記すると、携帯を意味する中国語は本来「手機」なのだが、携帯が流行り出した頃は携帯端末は俗に「兄貴」(中国語:大哥)と呼ばれていた。それが今や主婦や学生までもがここ中国においてもスマホでインターネット三昧なのだから、もし「兄貴」であり続けたいと思うなら、もう少し何か考えなければなるまい。
少し考えただけでも、アプリをダウンロードして遊ぶもよし、音楽をダウンロードして鑑賞するもよし、小説をダウンロードして読むのもよし、「兄貴」としてできる選択肢には限りがないようにも見える。だがしかし、ケンタやマックで隣に座っている主婦や学生が、ことによると自分よりも高級でお洒落なモバイル端末で、諸々を遊んでいたり鑑賞していたり読んでいたりする中でさらなる「兄貴」風を吹かせるには一体何が必要なのか。
よくよく考えてみると、そもそも中国でインターネット三昧のモバイル活用術によって「兄貴」になるというこの事は、実際に「兄貴」としてモバイル端末でインターネットを使い倒して初めて意義がある。
この観点からすれば、中国におけるモバイル端末の活用シーンもやはり昔ながらのネットサーフィンによる情報収集ということに落ち着くのかもしれない。そんなの「兄貴」じゃない!と思われるかもしれないが、情報を持つ者と持たざる者との情報格差は侮れない。自慢の携帯で押さえるべき情報をきちんと押さえ、「兄貴」として健闘してほしい。