静けさを、冷めたと呼ぶ。
連絡が来るだけで、嬉しかった。
会えるだけで、特別だった。
触れられるだけで、心臓が跳ねた。
けれど、刺激は日常になる。
ドキドキしなくなった。
考える時間が減った。
一緒にいることが、当たり前になった。
その変化を人間は、
「冷めた」
「もう恋ではない」
と解釈することがある。
沸騰したお湯は、派手に湯気を上げる。
けれど火を止めれば、温度は下がる。
弱い火で静かに温め続ける関係は、
沸騰していないからといって、
冷たいわけではない。
特に、
追いかけること。
疑うこと。
失うことを恐れること。
そんな恋に慣れていると、
追いかけなくていい関係を退屈に感じる。
疑わなくていい相手に、物足りなさを感じる。
安心を「恋ではない」と誤読する。
もちろん、本当に気持ちが離れることもある。
静かな関係が、すべて愛とは限らない。
だから見るのは、刺激の量ではない。
尊重は残っているか。
言葉を交わせるか。
小さな変化に気づけるか。
その人の前で、私は私でいられるか。
刺激の大きさと、
関係の深さは同じではない。
安心は、心を動かさないのではない。
心を守るために、
動き続けなくていいということかもしれない。
愛の量を、
心拍の音量だけで測らない。
恋は盲目。
だから、静かになったときこそ、
二人の間に何が残っているのかを観察する。
JIBUN SCIENCE LAB.
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