すぅ~と沁みこんで来る様な言葉がつづられていて、パラパラと開いたところを読むだけでも、気付きを届けてくれるような本です。
その中から一部をご紹介します。

言語を使うかぎり、幻想は避けられません。
なぜなら、思考と言語は必然的に二元性をともない、
独立した個人を作ってしまうからです。
けれども、二元性も独立した個人も存在しません。
真実はどうかというと、木を眺めているとき、
私たちは木の存在に気付いている一人の人間ではありません。
思考でも、感覚でも、経験でもありません。
私たちは、これらの事象が現れる場であり、
かつその媒体である、意識あるいは気付きなのです。
なぜなら、思考と言語は必然的に二元性をともない、
独立した個人を作ってしまうからです。
けれども、二元性も独立した個人も存在しません。
真実はどうかというと、木を眺めているとき、
私たちは木の存在に気付いている一人の人間ではありません。
思考でも、感覚でも、経験でもありません。
私たちは、これらの事象が現れる場であり、
かつその媒体である、意識あるいは気付きなのです。

「わたしは、『本当の自分』を知りたい」。
あなたはそう思うかもしれません。
けれども、あなた自身が、「本当の自分」なのです。
あなた自身が、すでに「知」そのものなのです。
あなた自身が全てを知る媒体である意識なのです。
意識は、それ自身を知ることが出来ません。
意識が、「知」自身なのですから。

