主日の聖書 旧約聖書 ミカ書5章1〜4a節 | 生き続けることば

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【中心聖句】

彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。(1節)

 

 

今日の旧約聖書朗読箇所であるミカ書には日ごろ余り馴染みがありませんが、マタイによる福音書2章6節で今日の朗読箇所が引用されているため待降節には良く読まれています。

 

ミカ書の冒頭には「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである」(1章1節)と書かれています。

 

このことから、モレシェトの出身である預言者がユダ王国(南王国)の「ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」(BCE8世紀後半)に活動した、ということが分かります。

 

このモレシェトの正確な位置については諸説ありますが、雨宮慧神父によると「アッシリアやエジプトが覇権を求めて行き交う幹線道路を見下ろす位置にあり」(雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』p.25)、その小さな村の出身であったミカ「対外的には強国の軍事力をよりどころとし、対内的には小農民の土地を強奪する支配層を批判しつつ」、「理想の指導者への期待を熱く説いた」(同)でした。

 

絶えず超大国に脅かされ続ける南ユダ王国の民に対してミカ「大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶ」(3節)ような者が現れる、と神の言葉を取り次ぎます。

 

その「大いなる者」は王侯貴族や大祭司などの支配階級が住むエルサレムで生まれるのではありません。彼は「ユダの士族の中でいと小さい者」(1節)であるエフラタのベツレヘムで生まれるのです。

 

雨宮神父によれば、エフラタאֶפְרָתは小さな民族で千人隊を組むことも出来ませんでした(『主日の聖書解説<C年>』)雨宮神父はここで民族という言葉を使っておられ、聖書(新共同訳)では氏族となっていますが、原文では1000を表すאֶלֶףという言葉になっています。

 

ベツレヘムは、現代では「イエス・キリストの生誕の地」としてイスラエル共和国の中でも主要な観光都市の一つですが、当時は恐らく小さな町だったのでしょう。

 

また、「主はサムエルに言われた(中略)あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見出した」(サムエル記上16章1節)とあるように、ベツレヘムダビデの出生地とされています。

 

預言者ミカを通して小さな氏族が治める小さな町からダビデ王の後継者となる者が生まれると神は告げたのです。

 

しかも、そのことは決して急に神が思いついたことではありませんでした。「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」(1節)と書かれているように、「彼の到来が神の思いつきではなく、永遠の昔からの救いの計画に根ざしている」((雨宮慧『主日の聖書解説<C年>』p.24)ことが分かります。

 

エフラタは「産婦が子を産むときまで」2節)、神に見捨てられたままに放置され、暫くの間、色々な艱難辛苦を味いますが、

主の力、神である主の御名の威厳をもって彼らを護り養う者がやがて現れる(3節)というのです。

 

彼は地上に平和をもたらすというより、「彼こそ、まさしく平和」(4節)そのものなのです。

 

今日の旧約聖書朗読は日ごろは余り読まれることのない短い箇所ですが、何故この箇所がイエス・キリストの誕生を待ち望む待降節に読まれるか自ずと明らかでしょう。