主日の聖書 新約聖書 マルコによる福音書13章24〜32節 | 生き続けることば

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【中心聖句】

そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る(26節)

 

今日の福音朗読箇所であるマルコによる福音書13章「小黙示録」と呼ばれています。

 

雨宮慧神父に拠れば、13章全体は以下のような構成になっています。

 

1~5節前半:イエスの説教がどのような状況で書かれたか

        を明示

5節後半~章の終わり:イエスの説教

 

さらに、5節後半以下の「イエスの説教」は次の4つに分けることが出来ます。

 

5節後半~23節: 「気をつけている」ことについて

24節~27節: 人の子の到来

28節~32節: 「いちじくの木」のたとえ

33節~37節: 「目を覚ましている」ことについて

(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.289)

 

5節以下には「イエスの名を名乗り、人を惑わす者多数」(5〜6節)、「戦争や戦争の噂」(7節)、「民と民、国と国との敵対」(8節)、「地震」(同)、「飢饉」(同)などの苦難に見舞われると書かれています。しかも、それらの苦難は「産みの苦しみの始まり」(同)だというのです。

 

そして「偽メシアや偽預言者」が現れますが(22節)、更にこれらの苦難の後に「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」(24~25節)という天変地異が起こります。

 

それらの苦難や天変地異の後、漸く「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(26節)こととなります。雲が聖書において神の臨在を顕す徴の一つであることは既に何度か繰り返している通りですし、また旧約聖書ダニエル書には「見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り」(7章13節)と書かれています。

 

そして、この天より下って来る人の子「選ばれた人たちを四方から呼び集める」(26節)のです。ここでの「選ばれた人たち」はエリート集団どころか、むしろ様々な苦難や天変地異に耐えて信仰を守り続ける人々を指しています。

 

28節以下にはイエスの「いちじくの木のたとえ」が記されています。いちじくの葉が伸びると夏が近いことが分かるように、様々な出来事が起これば人の子が近づいていることが分かるというのです。

 

正直なところ「いちじくの木」と言われても今の私たちには余りピンときませんが、いちじくはメソポタミア地方からエジプト、ギリシャそしてローマに至る古代世界では遡ると1万数年前から広く栽培され、最もありふれた植物ということです。

 

ですので、イエスの言葉を直に聞いた人々やマルコによる福音書が編集された同時代人にとっては季節の移り変わりを表すものとしては大変に分かり易かったのでしょう。

 

イエス「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」(32節)と言います。

「その日、その時」つまり終末の時は、人間はもちろん、天使たちさらには子であるイエスすら分からないというのです。

 

終末といいうのは決してノンクリスチャンが一般にイメージするこの世の破滅ではなく、救いの時なのです。

 

救いの時の到来が確実ならば、私たちはそれが来るのを待つのではなく、いつ来ても良いように『目を覚まして」日常生活を送ることが大切なのです。