ジェネヴィーヴ・タッピング( 1863年10月21日-1953 年7月18日)

 

バプテスト宣教師ヘンリー・タッピング夫人。キリスト教保育の指導者。

 

略歴

 

米国ウィスコンシン州で育つ。

 

アメリカ・バプテスト・ミッショナリーユニオン派遣宣教師である夫ヘンリー・タッピングと共に1895年、来日。

 

ヘンリーが東京学院(後の関東学院神学部)で教鞭を執る一方、ジェネヴィーヴは1896年に東京幼稚園保姆養成所を開くとともに、キ彼女は築地や四谷に幼稚園(現・彰栄学園)を開設した。

 

1907年には盛岡市に移り、盛岡浸礼教會(現・日本基督教団内丸教会)に、長岡栄子(女優・長岡輝子の母、盛岡高等女学校教諭)が始めた盛岡保育会を継承する形で岩手県下初の幼稚園を開設した。

 

1919年には病気のため盛岡を離れ横浜に居を移すが1927年にミッションを離れて帰国した。ただ、その後、再来日し賀川豊彦を助けた。

 

ヘンリー、ジェネヴィーヴ共に東京で帰天。

 

<参考>

・山北宣久『きょうは何の日  キリスト教365日』教文館、2003年

・彰栄学園ウェブサイト

・盛岡幼稚園ウェブサイト