村嶋 歸之(むらしま よりゆき、1891年10月20日- 1965年1月13日)

 

ジャーナリスト、社会活動家、教育者。

 

略歴

 

自由党衆議院銀滝口帰一の三男として奈良県で生まれる。

 

早稲田大学政治経済学部卒業前に母方の姓村嶋を継いだ。

 

1915年、大阪毎日新聞社に入社し、売春や風俗、労働問題などを取材、25歳のころ賀川豊彦と知り合いとなり、賀川の主宰する友愛会関西労働同盟会の理事を務めた。

 

1925年、『歓楽の墓』を上梓して買春を懺悔し、賀川豊彦より受洗。

 

また、賀川の代表作で大ベストセラーとなった『死線を越えて』の出版に尽力したことから「賀川を世に出した男」とも呼ばれた。更に、文豪谷崎潤一郎「蓼食ふ蟲」を連載した際の担当記者であった。

 

終戦直後の1946年、賀川と共に平和女学校を開設して校長に就任、その後、学校法人平和学園を創設し賀川が理事長、村嶋は専務理事・学園長・校長を兼務した。

 

<参考>

・山北宣久『きょうは何の日?  キリスト教365日』教文館、2003年

・ウェブサイト『歴史が眠る多磨霊園』

・平和学園ウェブサイト

・Wikipedia