ジョン・ムーディー・マッケーレブ(1861年9月25日-

 

"Churches of Christ"教会の日本伝道における先駆者。豊島区雑司が谷にある彼の居宅兼伝道の拠点は「東京都豊島区立雑司が谷旧宣教師館」として保存されている。

 

 

 

略歴

 

テネシー州ヒックマン郡の生まれ。

 

生後6ヶ月の時、折から勃発した南北戦争で父を失う。母は苦労して6人の息子を育てた。

 

この父を早くに亡くしたことや母の苦労、南北戦争による南部の荒廃は彼にとって生涯忘れ得ぬ心象風景となった。

 

5歳の時、母が再婚して多少、暮らしは楽になったが、6歳で就学後も家の農場の手伝いのため21歳までまともに学校に行く機会が殆どなかった。

 

農場で色々なスキルを身につけるのと同時に継父が会員であった Shady Grove Churchに熱心に通い14歳の時、受洗。

 

21歳になると母は死去、兄弟はそれぞれ巣立ち継父も別居という状態となり農場を売却、 Carter’s Creek Academyに入学した(テネシー州モーリー郡)。同校で"Churches of Christ"教会の教義を学び、同教派初の宣教師の一人となる礎を築いた。

 

更にthe College of the Bible(ケンタッキー州レキシントン)で学んだ後、1892年4月、妻と共に来日。以後、東京以外でも石川、富山、茨城、千葉などで伝道。

 

彼の豊島区雑司が谷の居宅は現在、「東京都豊島区立雑司が谷旧宣教師館」として保存されている。

 

(出所:キリスト新聞ウェブサイト)

 

1941年、日米開戦に伴って帰国後はロス・アンジェルスに住み、Pepperdine Universityで教鞭をとった。

 

<参考>

・山北宣久『きょうは何の日?  キリスト教365日』教文館、2003年

・Boston University Website