【中心聖句】
それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
いくつの言葉を学びましょう。
引き渡す παραδίδωμι
この原語には「引き渡すの他、交付する、(敵に)渡す、売る、委ねる、任せる(教え、言い伝え、戒めなどを)伝える、伝授する、教える、許す」など様々な意味があります(岩隈、p.357)
今日の箇所では「引き渡す」と約されていますが、イエスを「引き渡した」のがユダであったとみれば「裏切る」という意味になります。
一方、ローマの信徒への手紙には「その御子をさえ惜しまず死に渡された方」(8章32節)とありますが、この「渡された」はπαρέδωκενつまりπαραδίδωμιのアオリスト形(過去の動作について完結した出来事)となっています。
また、神がイエスを引き渡したという意味で捉えれば、「イエスの死は無意味な死に終わることなく、神が受け入れる死である」ということになります(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.258)
途中でἐν τῇ ὁδῷ
これは英語聖書でもon the way(RSV)と訳されていますので、特に論点はないと思われます。
ですが、この原文のὁδόςは道、道路という意味であり(岩隈、p.326)、イエスが歩む「十字架への道」という意味が被せられていると考えられます(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.261)
仕えるδιακονέω
聖書本文で仕える者 διάκονοςと書かれている言葉の動詞形διακονέωには元々、「(食事の)給仕をする」という意味があり、そこから広く一般的に「仕える、奉仕をする、世話をする、助ける」(岩隈、p.112)などとして使われるようになりました。
受け入れるδέχομαι
この原語には「受け取る、受理する、迎え入れる、受け入れる、是認する、認める、甘受する」などの意味があります(岩隈、p.108)
子どもをイエスの名のゆえに「受け入れる者」はイエスを「受け入れる」のであり、さらにイエスをお遣わしになった神を「受け入れる」のです(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.261)
こうして仕えるδιακονέωと受け入れるδέχομαιはキリスト者の基本姿勢を示す言葉となりました。


