主日の聖書 新約聖書 マルコによる福音書9章30〜37節 | 生き続けることば

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新旧約聖書の言葉をご紹介する他、折に触れて宗教関連書、哲学書、その他の人文系書籍、雑誌記事の読後感などを投稿いたします。なお、本ブログ及び管理者は旧統一教会、エホバの証人、モルモン教等とは一切、関係がありません。

【中心聖句】

それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。

 

 

いくつの言葉を学びましょう。

 

引き渡す παραδίδωμι

 

この原語には「引き渡すの他、交付する、(敵に)渡す、売る、委ねる、任せる(教え、言い伝え、戒めなどを)伝える、伝授する、教える、許す」など様々な意味があります(岩隈、p.357)

 

今日の箇所では「引き渡す」と約されていますが、イエスを「引き渡した」のがユダであったとみれば「裏切る」という意味になります。

 

一方、ローマの信徒への手紙には「その御子をさえ惜しまず死に渡された方」(8章32節)とありますが、この「渡された」はπαρέδωκενつまりπαραδίδωμιのアオリスト形(過去の動作について完結した出来事)となっています。

 

また、神がイエスを引き渡したという意味で捉えれば、「イエスの死は無意味な死に終わることなく、神が受け入れる死である」ということになります(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.258)

 

途中でἐν τῇ ὁδῷ

 

これは英語聖書でもon the way(RSV)と訳されていますので、特に論点はないと思われます。

 

ですが、この原文のὁδόςは道、道路という意味であり(岩隈、p.326)、イエスが歩む「十字架への道」という意味が被せられていると考えられます(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.261)

 

仕えるδιακονέω

 

聖書本文で仕える者 διάκονοςと書かれている言葉の動詞形διακονέωには元々、「(食事の)給仕をする」という意味があり、そこから広く一般的に「仕える、奉仕をする、世話をする、助ける」(岩隈、p.112)などとして使われるようになりました。

 

受け入れるδέχομαι

 

この原語には「受け取る、受理する、迎え入れる、受け入れる、是認する、認める、甘受する」などの意味があります(岩隈、p.108)

 

子どもをイエスの名のゆえに「受け入れる者」はイエスを「受け入れる」のであり、さらにイエスをお遣わしになった神を「受け入れる」のです(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.261)

 

こうして仕えるδιακονέω受け入れるδέχομαιはキリスト者の基本姿勢を示す言葉となりました。