【中心聖句】

それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架をわたしに従いなさい(34節)

 

あなたはメシアですΣὺ εἶ ὁ χριστός

このペトロの応え即ち信仰告白は字面上は間違っていません。ですが、彼を初め弟子たちが期待しているメシアとはイスラエルをローマ帝国とその傀儡から政治的に解放してくれるリーダーでした。支配者をむやみに刺激するのを避けるためにイエスは弟子たちに沈黙を命じますが、イエスは十字架にかけられるメシアなのでした。

 

お連れするπροσλαμβάνω

この原語にはto take to oneself, take, receiveなどの意味がありますが(Abott-Smith, p.386)、行為者(ここではペトロ)の優位性や権威を前提としています(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.255)

 

諌める ἐπιτιμάω

to censure, rebuke, admonishなどの意味があり(Abott-Smith, p.176)、ここでも行為者ペトロの優位性や権威を前提としていますが、実は33節の「ペトロを叱って」の「叱る」と訳されている原語も同じἐπιτιμάωです。あえて同じ言葉を使うことによって福音書記者はペトロとイエスの対立を浮き彫りにしようとしています(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.255)

 

思うφρονέω

この言葉はto have understanding, think, think of, have in mind of, be mindful ofなどの意味がありますが(Abotto-Smith, pp.473-474)、要するに「心をそこにかける」(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.255)つまりぼんやりと思っている、考えているということではないというわけでしょう。

 

わたしの後に従いたい者は自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさいΕἴ τις θέλει ὀπίσω μου ἐλθεῖν, ἀπαρνησάσθω ἑαυτὸν καὶ ἀράτω τὸν σταυρὸν αὐτοῦ καὶ ἀκολουθείτω μοι(34節後半)

 

ここには3つの命令が矢継ぎ早に出てきます。日本語ですと並列に読めますが実は原文では捨てἀπαρνησάσθωと背負ってἀράτωがアオリスト命令形であるのに対し従いなさいἀκολουθείτωは現在命令形になっています。つまり時制を変えることで3つ目の従いなさいἀκολουθείτωに注意が向けられ強調されているということになります(雨宮慧『主日の福音(B年)』p.255)

 

日常生活でも「自分の十字架を背負って生きる」という言葉を良く耳にします。しかしその場合はあくまで自分の過去の過ちを背負ってこれからも生き続けるという意味で使われています。

 

しかしイエスが「十字架を背負え」という時、それは「自分がそうであるように、お前も人間の常識とはかけ離れた『神の思い』を背負って生きるように」という意味なのです。イエスは神の思いに従って十字架を担いました(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.257)