【中心聖句】
見よ、主なる神が助けてくださる(9節a)
今日の旧約聖書朗読はイザヤ書の「第二イザヤ」からですが、まず、いくつかの言葉を学びましょう。
耳を開かれたפָּתַֽח־לִ֣י אֹ֔זֶן
この言葉は4節の「朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うように」という言葉を強調しています。神は僕(しもべ)の耳を開くのです。「主はサムエルの耳にこう告げておかれた」(サムエル記上9章15節)が想起されます。
逆らわず、背かなかった וַֽיהוָ֔ה גָּלָ֖ה אֶת־אֹ֣זֶן שְׁמוּאֵ֑ל
神の言葉を聞くということはただ聞きっぱなしにするということではなく、言葉と行動によって神に従うことです。僕は逆らわず、退かないのです。
打とうとする者 לְמַכִּ֔ים、ひげを抜こうとするものלְמֹֽרְטִ֑ים
打つ נָכָהは苦痛を意味し、権威の象徴であるひげを抜くמָרַטことは侮辱を意味します。
主の僕であるイザヤ(第二イザヤ)はペルシャ王キュロスによる解放を預言したために当然のことながら新バビロニア王国からは危険視され、同胞であるはずの捕囚民たちからは相手にされなくなります。
しかし彼を力づけたのは朝ごとに耳を呼び覚まし、耳を開いてくれる主の声でした。「主が助けてくださるから」(7節)彼は迫害や嘲り、無視を超えることが出来るのです。
彼は「わたしの正しさを認める方は近くいます」(8節)、「見よ、主なる神が助けてくださる」(9節)と繰り返します。
神は人間の常識に縛られることなく、思いも及ばない道を用いて計画を成就しますが、「朝ごとの交わり」を欠いてはそれを理解出来ないのです(雨宮慧『主日の聖書解説<B年>』p.254)