ジャン・アレキシス・シャンボン(Jean Baptiste Alexis Chambon、1875年3月18日- 1948年9月8日)

 

フランスのヴォロール=ヴィルで生まれる。幼い時に母を失い、司祭であった叔父に育てられた。

 

1899年9月、司祭に叙階されてパリ外国宣教会所属の宣教師として来日し、一関教会を経て仙台神学校、函館司教座聖堂に勤めた。

 

第一次世界大戦勃発でフランスに帰国し衛生兵として従軍した後、1918年に再来日、更に1921年に再びフランスに戻ってパリ外国宣教会本部顧問会の日本宣教師代表を5年間務めた。

 

1927年3月、東京大司教区第5代大司教に任命され、1929年にはパリ外国宣教会の支援を受けて東京・練馬に大神学校を設立し、司祭の養育に努めた。

 

1937年、東京大司教区を辞し、新設された横浜司教区初代司教を1940年まで勤めた後、マリアの宣教者フランシスコ修道会修練院(横浜市戸塚)の修練院付き司祭となった。

 

 

<参考>

・wikipedia

・山北宣久『きょうは何の日 キリスト教365日』教文館、2003年

 

 

 

 

 

 

 

は、キリスト教カトリックフランス人宣教師である。パリ外国宣教会所属で、カトリック東京大司教区の第5代大司教教区長)、および横浜司教区の初代教区長を務めた。

生涯

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1875年明治8年)3月18日、フランスピュイ=ド=ドーム県ヴォロール=ヴィル(クレルモン司教区)で生まれる。生まれてすぐに母を失い、司祭であった叔父に養育された。シュルピエールで中等科を卒業し、クレルモンの大神学校で学び、1898年(明治31年)、助祭としてパリ外国宣教会に入会した。1899年(明治32年)9月23日に司祭に叙階され、同年10月24日、フランスを出発し日本へ向かった。

1900年(明治33年)、任地の函館教区(現在の仙台教区)に到着、一関の教会で2年間助任司祭として働きながら日本語を覚え、その後3年間、仙台神学校の校長を務めた。1905年(明治38年)から9年間、函館司教座聖堂の主任司祭を務めたが、1914年大正3年)に第一次世界大戦が勃発すると、看護兵として召集されてフランスに帰国した。終戦後の1918年(大正7年)に再来日し、初代駐日教皇使節フマゾニ・ビオンディ大司教の秘書を1年間務めた後、1921年(大正10年)フランスに戻り、パリ外国宣教会本部顧問会の日本宣教師代表を5年間務めた。