ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh、1832年9月7日 - 1920年1月29日)
NY州ホバートの農家に生まれた。
1857年、ラトガーズ大学卒業後、ニュー・ブランズウィック神学校に入学。神学生時代にS.R.ブラウンの講演を聞いて日本説教を決意した。
1860年に同神学校を卒業後、1861年11月11日、神奈川に到着、ヘボンやブラウン、ゴーブル等が住んでいた成仏寺に住むこととなった。
翌年、鍼灸師の矢野元隆を教師として日本語の勉強を始めた。矢野は1865年11月、死の一ヶ月前にバラより受洗、日本初の日本人プロテスタント信徒となった。
1863年には尊王攘夷運動の高まりで身に危険を感じて横浜居留地に転居した。
1866年に横浜英学所で教え始め、ヘボン夫人が解説したヘボン塾塾生を引き受けたが、その中には高橋是清もいた。1871には高島嘉右衛門の要請で高島学校でも教鞭をとった。
1872年3月10日、押川方義ら9人が受洗、日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会(現横浜海岸教会)が創立され、バラは仮牧師に就任。彼らはS.R.ブラウンが開設したブラウン塾塾生らと共に「横浜バンド」を形成した。
1878年に稲垣信の横浜海岸教会牧師就任に伴ってバラは同協会仮牧師を辞し、東京、神奈川、伊豆、長野等で伝道活動を行った。
1872年に来日し高島学校の教師を引き継いでいた実弟ジョン・クレイグ・バラはヘボン塾の後身であるバラ塾を東京に移し築地大学校(現・明治学院)を開設した。
なお、彼の要請に応じて米国婦人一致外国伝道協会より派遣された3人の女性宣教師が1871年、女子教育および混血児養育を目的とする、亜米利加婦人教授所(American Mission Home) を設立した。現・横浜共立学園の前身である。
<参考>
・Wikipedia(画像も)
・横浜共立学園HP
・山北宣久『きょうは何の日 キリスト教365日』教文館、2003年