新渡戸 稲造(1862年9月1日- 1933年10月15日)

 

藩主用人を務めた盛岡藩士の三男として盛岡城下で生まれた。

 

1877年に入学した札幌農学校クラークに導かれてメソジスト派宣教師M・C・ハリスより受洗。

 

1884年、米国ジョンズ・ホプキンス大学に留学、クエーカーの集会に通い会員となり、メアリー・エルキントンと出会う。

 

札幌農学校助教授に任命されたためジョンズ・ホプキンス大学を中退し、官費でドイツに留学、ハレ大学より農業経済学博士号を得た。

 

1891年に帰国し札幌農学校に赴任するが、妻メアリーと共に体調を崩し農学校を休職してカリフォルニア州で転地療養、その間に”Bushido"を著した。

 

その後、台湾総督府勤務を経て1903年には京都帝国大学教授に就任、さらに1906年からは東京帝国大学教授との兼任で第一高等学校校長を務めた。

 

一高の教職にある時、自分の学生達に内村鑑三の聖書研究会を紹介、その時のメンバーから矢内原忠雄、高木八尺、南原繁、藤井武、塚本虎二、河井道などの著名人を輩出した。

 

1913年に同校を辞職後は拓殖大学学監、東京女子大学学長などを歴任。

 

1920年、国際連盟設立に際して事務次長の一人に選ばれた

 

<参考>

1.Wikipedia 「新渡戸稲造」

2.山北宣久『きょうは何の日? キリスト教365日』教文館、2003年