瀧廉太郎(1879年8月24日- 1903年6月29日)

 

旧・日出藩(現:大分県速見郡日出町)の瀧吉弘の長男として東京府芝区南佐久間町で生まれる。

 

東京音楽学校(現東京藝術大学)でピアノを学び卒業後は研究科に進むと同時に同校の嘱託教師となった。

 

1900年10月、聖公会グレース・エピスコパル・チャーチ(博愛教会)で元田作之進(初代立教大学学長)から受洗。

 

この時期、『荒城の月』、『箱根八里』『花』のほか、『お正月』『鳩ぽっぽ』『雪やこんこん』などを作曲し、日本における西洋音楽の黎明期に先駆的役割を果たした。

 

1901年、ドイツに国費留学するが結核発症のためライプツィヒ音楽院を5ヶ月で退学して翌年帰国、大分で療養生活に入り、大分聖公会・ブリべ司祭と親交を深めた。